2023年1月24日火曜日

イザヤ63章

 正しく怒るのは神様だけです。僕らの怒りは正しくありません。(ヤコブ1.20)そして、イエス様の正しい怒りと報復の様子が聖書にはっきり書かれています。それは、まるでブドウが踏まれて汁が飛び散るように、血液が飛んでイエス様の服が血に染まるようですこの様子は終わりの日の審判にもそのようになると書かれています。(黙示録14.18-20)


(3-6節)

わたしは怒って彼らを踏み、憤って彼らを踏みにじった。彼らの血の滴りはわたしの衣にはねかかり、わたしの装いをすっかり汚してしまった。復讐の日がわたしの心のうちにあり、わたしの贖いの年が来たからだ。(…中略…)わたしは怒って諸国の民を踏みつけ、わたしの憤りをもって彼らを酔わせ、彼らの血の滴りを地に流れさせた。」


僕ら人間は全員この正しい怒りを受ける罪人です罪のない人は一人もいない、と聖書は言います。(ローマ3.10)だのに、神様はイスラエル人を選び、そしてイエス様を信じる僕らを選び、怒りを注がず、赦し、身代わりにイエス様が血だらけになってその裁きを受けて死んでくださいました。


「恵」という漢字は十字架を思う、と書くそうです

僕は神の怒りと裁きを受けて殺されるはずだったのに、イエス様が十字架で殺され、僕らは赦され、愛され、神様の子どもと呼ばれています。これはすごすぎる「恵」です僕らに怒りが注がれなかったのは、何か特別な理由がある訳でもありません。ただ、神様が選び憐れんでくださった、それだけです

神様はイスラエル人たちを恵み、憐れんでくださいました。そして、同じように僕らクリスチャンを恵み、憐れんでくださっています。


(7-8節)

私は主の恵みを語り告げる。主の奇しいみわざの数々を。主が与えてくださったすべてのことを。そのあわれみと豊かな恵みにしたがって与えてくださった、イスラエルの家への豊かな恵みを。

主は言われた。「まことに、彼らはわたしの民、偽りのない子たちだ」と。こうして主は彼らの救い主になられた。


しかも、神様の恵みと憐れみは、まるで自分自身のように僕らの苦しみに連帯してくださることです


(9節)

彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、主の臨在の御使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって、主は彼らを贖い、昔からずっと彼らを背負い、担ってくださった。


天におられる神様が貧しいこの地上に来てくださり、僕らの苦しみに連帯し、いつも一緒に苦しんでくださいます。憐れみとは苦しみを一緒に背負ってくださることです僕らの悩み、苦しみはイエス様の苦しみです僕らの痛みはイエス様の痛みです


イスラエルは愛されているのに、何度も神様を裏切ります。そして僕らもイエス様を裏切り悲しませる場面がよくあります。それでもイエス様は見放すことなく一緒に苦しむことを選んでくださいます。僕らの苦しみを背負ってくださる究極的な姿は、神様の怒りと呪いを背負って十字架の上で死んでくださる姿です

今日もイエス様が僕らの味方です。一緒に泣き、一緒に喜び、全てを一緒に背負ってくださる方です。感謝しましょう。神様の恵みは消えることがありません。


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