イエス様はもう一度この地上に来られると聖書は言います。その時に、嬉しくて仕方ない人と、怖くてしかたない人に分けられます。
嬉しい人はイエス様によって赦され受け入れられている人です。イエス様の十字架のによってもう罪はきよめられました。信じる人は赦されます。その時、まるで僕らは赤ちゃんが母乳を飲んで喜び満足するように喜びます。今までの人生がどんなに苦しみと忍耐の連続だったとしても、その時には喜び、満足、慰め、繁栄、栄光しかありません。赤ちゃんが可愛がられるように、僕らは神様に可愛がられます。その時の様子を次のように聖書は預言しています。
(10-13節)
エルサレムとともに喜べ。すべて彼女を愛する者よ、彼女とともに楽しめ。すべて彼女のために悲しむ者よ、彼女とともに喜び喜べ。
あなたが彼女の慰めの乳房から飲んで満ち足り、その豊かな乳房から吸って喜びを得るために。
主はこう言われる。「見よ。わたしは川のように繁栄を彼女に与え、あふれる流れのように国々の栄光を与える。あなたがたは乳を飲み、脇に抱かれ、膝の上でかわいがられる。
母に慰められる者のように、わたしはあなたがたを慰める。エルサレムであなたがたは慰められる。
神様に喜ばれ、神様をよろこぶ人たちは世界中から集められます。神様にとっては一人一人が喜びです。神様への贈り物のように、一人一人の存在が神様にとって喜びです。まるで、みんながキレイなラッピングをされてリボンをつけて神様にささげられるかのようです。
(20節)
彼らはすべての国々から、あなたがたの同胞をみな主への贈り物として、馬、車、輿、らば、らくだに乗せて、わたしの聖なる山エルサレムに連れて来る──主は言われる──。それはちょうど、イスラエルの子らが穀物のささげ物をきよい器に入れて、主の宮に携えて来るのと同じである。
イエス様が来られる日には僕らは神様に喜ばれる子どもとして受け入れられ可愛がられます。そのことは実は今から始まっています。
僕らの「からだ」を神様へのきよいささげものとしなさい、と聖書は教えます。
(ローマ12.1)
ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
神様へのクリスマスプレゼントがあるとすれば、それは僕ら自身です。神様は最高に喜んでそれを受け取ってくださいます。
今、どんなに苦しみと悲しみがあったとしても、神様の子どもたちは回復し、神様に受け入れられ、可愛がられ、栄光と祝福に満たされる日が来ます。
イザヤの時代、エルサレムは罪で汚れ、外国に占領されてボロボロでした。それでも回復するのは確定です。神様がそのようにしてくださるからです。
今日のがっかりは一時的です。その先には希望があります。クリスチャンは人生を終えた先には希望しかありません。この世界がどんなに壊れても、イエス様による回復は確実です。
(マタイ24:35)
この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
(22節)
わたしが造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くのと同じように、──主のことば──あなたがたの子孫とあなたがたの名もいつまでも続く。
0 件のコメント:
コメントを投稿