自動車学校で大事なことは「学科」よりも「運転」です。同じように「キリストについての学び」よりも大事なことは「実践」です。「愛について」学ぶことよりも、互いに愛し合い励ますことはもっと大切です。
(6-7節)
私たちの間でキリストのためになされている良い行いを、すべて知ることによって、あなたの信仰の交わりが生き生きとしたものとなりますように。私はあなたの愛によって多くの喜びと慰めを得ました。
クリスチャンはキリストのからだの一部です。だから他の仲間たちは自分とつながっています。イエス様を愛すること、愛されることは、他の仲間を愛すること愛されることです。イエス様と僕らは一体です。だから自分と教会の他の仲間は一体です。
「オネシモ」という人は逃亡した奴隷だったようです。そのような人は処罰の対象でした。ところがそのオネシモがイエス様を信じ愛する兄弟、自分と同じイエス様の体の一部となりました。だから、パウロは奴隷ではなく、パウロ自身と同じように迎えてやって欲しいと願っています。
(16-17節)
もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟としてです。特に私にとって愛する兄弟ですが、あなたにとっては、肉においても主にあっても、なおのことそうではありませんか。ですから、あなたが私を仲間の者だと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えてください。
パウロはオネシモが昔起こしたトラブルは自分のことだと思っています。自分も彼と一体だと思っています。だからオネシモが前に損害を与えた賠償をパウロは支払うとさえ行っています。
(18-19節)
もし彼があなたに何か損害を与えたか、負債を負っているなら、その請求は私にしてください。私パウロが自分の手で、「私が償います」と書いています。
しかも、パウロはオネシモを愛し取り成すだけでなく、自分もピレモンに愛され、厚意を受けたいと言います。イエス様と繋がった人同士は「愛する」ことだけでなく「愛される」ことが必要です。イエス様につながっているなら必ずそのような愛の交わりが現れます。
(20-21節)
そうです、兄弟よ。私は主にあって、あなたの厚意にあずかりたいのです。私をキリストにあって安心させてください。
私はあなたの従順を確信して書いています。私が言う以上のことまで、あなたはしてくださると、分かっています。
大事なことは「実践」です。仲間のために祈りますが「祈られる」ことも同じように大事です。パウロはそのようにしてくれる兄弟姉妹だと確信してお願いしています。
(22節)
同時に、私の宿も用意しておいてください。あなたがたの祈りによって、私はあなたがたのもとに行くことが許されると期待しているからです。
イエス様に僕らは愛され、受け入れられ、必要が与えられ、励まされ、祈られています。それらは全部互いの関係に現れます。イエス様に愛されることは、仲間に愛され、受け入れられることです。イエス様から日々の糧が与えられることは仲間から与えられることです。イエス様に祈ってもらうことは、仲間に祈ってもらうことです。
僕らはイエス様にケアされています。それは仲間にケアされることです。
交わりはイエス様の現れです。大事なことは、イエス様のご臨在を行動で表すことです。大事なことは「学科」よりも「運転」です。
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