2023年2月6日月曜日

1サムエル7章

 イスラエル人たちは神様から離れ、偶像を拝み、お望みどおり神様の守りも祝福も失っていました。神様から離れることは自分から祝福や安全や力を捨てるようなものです神様から離れることの惨めさを知ったイスラエル人たちはもう一度主を求めます。


(2節)

イスラエルの全家は主を慕い求めていた。


神様から離れることの惨めさを知った人は幸いです神様を心から求めるようになるからです

イエス様もおっしゃいました。「義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです」(マタイ5:6)「義」とは神様との愛の交わり、正しい関係のことです。それを失った人は飢え渇きます。そして、その人たちは心から主のみを求めるようになります。偶像でも人間関係でも満たされないからです神様に飢え渇いていたイスラエル人たちにサムエルは言います。



(3節)

サムエルはイスラエルの全家に言った。「もしあなたがたが、心のすべてをもって主に立ち返るなら、あなたがたの間から異国の神々やアシュタロテを取り除きなさい。そして心を主に向け、主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出してくださいます。」


もう一度神様に立ち返ることは、行動で表すことですこの人々の場合は偶像を全て撤去することでした。「心の全て」を神様に向けることと、実際の行動を変えることは一つです例えば、僕が「心から妻を愛しています」と言いながら実生活では他の女性と付き合って「形だけだから、心は妻だから」ということはできません。それは「心から」になりません。同じように、「心から主を愛し仕えます」と言いながら実際には偶像も所有していることはできません。サムエルは「心のすべてをもって主に立ち返るなら、あなたがたの間から異国の神々やアシュタロテを取り除きなさい。そして心を主に向け、主にのみ仕えなさい。」と言いました。

神様を信じ愛し仕えることは実際の行動を手足を完全に神様だけにささげることです


神様に飢え渇いていたイスラエルは偶像を捨てて自分の罪を告白しました。


(4-6節)

イスラエル人は、バアルやアシュタロテの神々を取り除き、主にのみ仕えた。 5サムエルは言った。「全イスラエルを、ミツパに集めなさい。私はあなたがたのために主に祈ります。」6彼らはミツパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。彼らはそこで、「私たちは主の前に罪ある者です」と言った。こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。


神様は悔い改める人を喜んで受け入れてくださいます。自分の惨めさを認めて告白することはどんな生贄よりも良いことです。「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」と聖書は言います。(詩篇51.17)


敵がイスラエルを攻撃してきたことも、彼らは偶像にも力にも求めず、ただ、神様にだけ助けを求め、祈ってくれるようにサムエルにお願いしました。サムエルもまた、主に祈り叫びました。主に助けを求めることと、自分たちのために祈ってくれるように願うことは良いことです今、僕らもまた神様に叫び求めることができます。また、教会の仲間にも祈ってもらうことが必要です。そして、誰よりも天でイエス様が祈っていてくださいます。


(8ー9節)

イスラエル人はサムエルに言った。「私たちから離れて黙っていないでください。私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。主が私たちをペリシテ人の手から救ってくださるようにと。」9サムエルは、乳離れしていない子羊一匹を取り、焼き尽くす全焼のささげ物として主に献げた。サムエルはイスラエルのために主に叫んだ。すると主は彼に答えられた。


(ローマ 8:34)

死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです


サムエルは必死で主の助けを求めるイスラエルのために祈り、その祈りは答えられました。僕らのためにはイエス様が祈っていてくださいます。サムエルは犠牲の子羊を捧げて祈りましたが、イエス様が完璧な犠牲となってくださり、イエス様によって神様の怒りは完全になだめられました。そのイエス様の祈りは必ず聞かれます。そればかりでなく、「御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」(ローマ8.26)


(10-11節)

サムエルが全焼のささげ物を献げていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来た。しかし主は、その日ペリシテ人の上に大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエルに打ち負かされた。11イスラエルの人々は、ミツパから出てペリシテ人を追い、彼らを討ってベテ・カルの下にまで行った。


イスラエル人たちが悔い改めて「主にのみ」求める時に、神様は人の力をはるかに超えた方法で助けてくださいました。このことは忘れてはならない記念となりました。


(12節)サムエルは一つの石を取り、ミツパとエシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った。


今も、僕らが助けを求める相手は「主のみ」です。二股でなく、「のみ」です。主が祈りに答えてくださいます。僕らは忘れっぽいけど、聖書は「主の良くしてくださったことは何一つ忘れるな」と言います。(詩篇103)


神様にだけ求めましょう。神様にとって悲しみとなる偶像は捨てましょう。それを聖書は姦淫、淫行と呼びます。「心は主のみ」と言いつつ生活は他のことを大事にしているなら「主のみ」ではありません。そして、主が良くしてくださったことを忘れないようにしましょう。主の恵みを数えること、記録すること、話すことは、賛美であり感謝ですそこにこそ満ち足りた喜びと平安があります!

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