少し前、キリスト教のテレビのディレクターに「どんな人を選んで取材して番組にするんですか?」って聞いたらすぐに「自己推薦する人はまずダメですね。取材の対象にはなりません」と言ってました。聖書が教える愚か者や怠け者は「自分が知恵ある者だと思う」人のことです。
12 自分を知恵のある者と思っている人を見ただろう。彼よりも、愚かな者のほうが、まだ望みがある。
愚か者もなまけ者も自分を知恵者だと思うようです。
16 なまけ者は、分別のある答えをする七人の者よりも、自分を知恵のある者と思う。
聖書は愚か者には関わるな、と教えます。明らかに高ぶっている愚か者にまともに議論したり答えたりすることは無駄なことです。
4 愚かな者には、その愚かさにしたがって答えるな。あなたも彼と同じようにならないためだ。
でも、場合によっては相手の愚かさに向き合ってちゃんと答える時も必要です。相手が自分の高ぶりに気がつくためです。4節と5節は逆のことを言っていますが、両方がセットです。僕らは相手に関わらないで相手にしないことも必要だし、ちゃんと向き合って愛しつつ戒めることも必要です。
5 愚かな者には、その愚かさにしたがって答えよ。そうすれば彼は、自分を知恵のある者と思わないだろう。
愚かな人は口だけ立派な教えを言うことがあります。しかし、そのような人の教えは有害です。そのような人には関わらない方がいいと聖書は言います。愚かな人に何かを頼んでもトラブルが起こるだけです。
6 愚かな者にことづけする者は、自分の両足を切り、身に害を受ける。
7 愚かな者が口にする箴言は、足なえの垂れ下がった足のようだ。
8 愚かな者に誉れを与えるのは、石投げ器に石をゆわえるようだ。
9 愚かな者が口にする箴言は、酔った人が手にして振り上げるいばらのようだ。
10 愚かな者や通りすがりの者を雇う者は、すべての人を傷つける投げ槍のようだ。
また、怠ける人も口ではいろんな言い訳をして自分を正当化し、自分は知恵があると思うようです。
13 なまけ者は「道に獅子がいる。ちまたに雄獅子がいる。」と言う。
14 戸がちょうつがいで回転するように、なまけ者は寝台の上でころがる。
15 なまけ者は手を皿に差し入れても、それを口に持っていくことをいとう。
16 なまけ者は、分別のある答えをする七人の者よりも、自分を知恵のある者と思う。
僕ら罪人は、自分を正当化して他人の欠点を探して噂話にします。罪人は陰口悪口が大好物です。陰口がなければ争いも消えますが、悪魔の仕事は人間通しが憎み合わせるために、陰口悪口を言わせようとします。悪魔は相手の欠点を僕らにアピールしてきます。悪魔の仕事は人間関係を壊すことです。また、陰口はおいしい食べ物のよう、と聖書は言います。
20 たきぎがなければ火が消えるように、陰口をたたく者がなければ争いはやむ。
21 おき火に炭を、火にたきぎをくべるように、争い好きな人は争いをかき立てる。
22 陰口をたたく者のことばは、おいしい食べ物のようだ。腹の奥に下っていく。
聖書は僕らが愚か者にならないように、怠け者にならないようにと警告してくれています。放っておくと、僕らは愚か者になりやすいし、怠けやすいし、人の悪口陰口を言いやすい者です。知恵とは神様の言葉を求めることです。自分の考えや判断によって他人の悪口陰口を言う人は愚かです。
神様は偽善者を嫌われます。僕らは人を憎みつつ口だけうわべだけで人に気に入られようとします。
しかし、それこそが偽善です。
23 燃えるくちびるも、心が悪いと、銀の上薬を塗った土の器のようだ。
24 憎む者は、くちびるで身を装い、心のうちでは欺きを図っている。
25 声を和らげて語りかけても、それを信じるな。その心には七つの忌みきらわれるものがあるから。
26 憎しみは、うまくごまかし隠せても、その悪は集会の中に現われる。
神様に憎しみを隠すのは無駄です。神様は全てを見ておられます。
(ヘブル 4:13)
造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。
憎しみを隠しつつ表面だけを装っても意味がありません。神様は全てをご存知です。大切なのは「自分は知恵がある」とか、「憎しみはありません」とか「罪はありません」という嘘やプライドを捨てることです。自分は正しいと思う人こそが愚か者であり、怠け者です。自分の弱さを認めましょう。怠け心があること、高ぶりがあることを認めて告白しましょう。また、心の中に人への恨みや憎しみがあることを認めましょう。うわべだけ作っても意味がありません。「偽りの舌は、真理を憎み、へつらう口は滅びを招く。」(28)
神様は僕らの全てを今日も見ておられます。僕らが今日も自分の小ささ愚かさ、偽善を認めて告白できますように。罪を悔い改める人は神様に喜ばれます。自分が正しいと思う人ではなく、自分の汚れと弱さを告白する人こそ神様に認められる人です。イエス様はおっしゃいました。
(ルカ 18:10-14)
「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
僕らが今日も愚かさから、怠けから、偽善から守られますように。正直に弱さやプライドや憎しみやずるさを告白できますように。主は必ず僕らを聖めてくださいます。イエス様の十字架の血による赦しは今日も完璧です!
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