罪は全てのものと摩擦を生みます。神様の存在が自分への苦しみになり、他人が苦しみに変わり、自分らしさも健康も失います。人間は本当は素晴らしい神様の作品であって、罪をするようには造られていません。むしろ「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られ」ました。(エペソ2.10)だのに、僕らは罪をし、罪は全てを奪い、苦しめます。この祈りをしたダビデは自分の罪ゆえに苦しみ、健康も友人も家族も失いました。それが神様からの懲らしめだとも知って、うめきながらこの祈りをしました。
1 主よ。あなたの大きな怒りで私を責めないでください。
あなたの激しい憤りで私を懲らしめないでください。
2 あなたの矢が私の中に突き刺さり、あなたの手が私の上に激しく下って来ました。
3 あなたの憤りのため、私の肉には完全なところがなく、私の罪のため私の骨には健全なところがありません。
「このくらいは大丈夫」という罪はありません。小さなパン種が全体を膨らませるように、罪の結果はだんだん大きくなり、あらゆる面で苦しめます。(1コリント5.6)
4 私の咎が、私の頭を越え、重荷のように、私には重すぎるからです。
5 私の傷は、悪臭を放ち、ただれました。それは私の愚かしさのためです。
苦しみは全て彼の罪の結果でした。同じように、僕らの周りにある苦しみも病も死も、本来はこの世になかった不自然なものです。人間が罪をした時に世界も僕らも呪われ死が入ったと聖書は言います。(創世記2.17,ローマ5.12)罪は僕らから力も喜びも奪います。
6 私はかがみ、深くうなだれ、一日中、嘆いて歩いています。
7 私の腰はやけどでおおい尽くされ、私の肉には完全なところがありません。
8 私はしびれ、砕き尽くされ、心の乱れのためにうめいています。(…中略…)
10 私の心はわななきにわななき、私の力は私を見捨て、目の光さえも、私にはなくなりました。
罪は友人とも家族とも関係を壊します。罪によって人間は互いに傷つけ合います。罪は愛を失わせます。
11 私の愛する者や私の友も、私のえやみを避けて立ち、私の近親の者も遠く離れて立っています。
12 私のいのちを求める者はわなを仕掛け、私を痛めつけようとする者は私の破滅を告げ、一日中、欺きを語っています。
僕らは全員、罪の赦しと悪影響からの解放が必要です。イエス様はこの罪を引き受け、身代わりにのろわれて十字架の上で神の怒りをその身に受けてくださいました。僕らはこのイエス様に自分の罪を認め、告白し、明け渡すことで赦されます。聖書は言います。「あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。」(ヤコブ5.16)
罪があると、他の人は僕らを責めます。自分も自分を責めて苦しみます。そんな中でダビデは罪を告白して神様を求めました。他の人が有罪宣言を突きつけ、破滅を告げても、それでも彼は神様の憐れみと赦しを求め続け、待ち続けました。赦しと回復は神様だけが与えてくださるものです。
12 私のいのちを求める者はわなを仕掛け、私を痛めつけようとする者は私の破滅を告げ、一日中、欺きを語っています。
13 しかし私には聞こえません。私は耳しいのよう。口を開かないおしのよう。
14 まことに私は、耳が聞こえず、口で言い争わない人のようです。
15 それは、主よ、私があなたを待ち望んでいるからです。わが神、主よ。あなたが答えてくださいますように。
ダビデは自分の惨めさや悲しみや不安を正直に告白し続け、助けを求め続けました。
17 私はつまずき倒れそうであり、私の痛みはいつも私の前にあります。
18 私は自分の咎を言い表わし、私の罪で私は不安になっています。
21 私を見捨てないでください。主よ。わが神よ。私から遠く離れないでください。
22 急いで私を助けてください。主よ、私の救いよ。
聖書は罪を認めて告白しなさい、と繰り返しています。苦しみは罪を教えてくれる場合が多いです。罪があるのに「知らない、僕は悪くない」と言って逃げようとする人もいるし「このままでも生きていける」と言い聞かせる人もいます。でも、神様の子どもは罪責感や苦しみから逃れることができません。目を背けても、振り払おうとしても罪の結果が追いかけてきます。そのように、神様は愛する子どもを叱り、怒り、懲らしめます。罪ゆえに苦しみが与えられるのは神様が愛する子どもとして訓練してくださるからです。
(ヘブル 12:6-7)
主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
罪を認め神様に正直に告白する人は赦されます。救いも赦しも用意されています。
(詩篇 32:3-5)
私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。
「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。
僕らには罪があります。目をそむけないで、正直に罪とその結果の苦しみや悩みを神様に言いましょう。神様は僕らを赦し、解放し、平安を与えようとしてくださっています。
(ヘブル 12:11)
すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
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