2023年2月21日火曜日

マルコの福音書6.1-13

 マルコの福音書6.1-13

この世は権威を求めます。○○学校を卒業したとか、○○の資格をもっているとか、〇〇を受賞した、ということで力を持ち影響力を持とうとします。ところが、イエス様はそのような資格や賞や学歴を何ももっていません。ですが、この世の全ての知恵と権威と栄光を持っている王の王です。
1 イエスはそこを去って、郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。
2 安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行なわれるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。
3 この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。
イエス様の地元の人たちはイエス様を信頼しませんでした。信頼しない人にはイエス様は癒しも救いも与えることがありません。
5 それで、そこでは何一つ力あるわざを行なうことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。
6 イエスは彼らの不信仰に驚かれた。それからイエスは、近くの村々を教えて回られた。
イエス様は圧倒的な権威を持っています。そしてそれを信じない地元の人たちを驚き悲しんでおられます。逆に、イエス様を信頼する弟子たちには、イエス様の権威を預けてくださいました。
7 また、十二弟子を呼び、ふたりずつ遣わし始め、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになった。
12 こうして十二人が出て行き、悔い改めを説き広め、
13 悪霊を多く追い出し、大ぜいの病人に油を塗っていやした。
僕らクリスチャンもイエス様の権威を預けてくださっています。僕らはイエス様の体の器官であり、イエス様の名(権威)によって祈ります。そしてその祈りは聞かれます。イエス様の権威ある祈りとされるからです。
弟子たちが権威を預かるのは、警察官が国から権威を預かるのと似ています。
警察官はか弱い人であっても、彼は国から権威を預かっているので暴走するダンプカーに止まるように命じることができます。権威は上から預かる力です。本人の強さは関係ないです。同じように僕らクリスチャンはイエス様の権威を預かっています。
イエス様の名によって病気が治るように祈り、悪霊が出て行くように祈りましょう。僕らの熱心さや力ではなく、イエス様にはその力があります。イエス様の名(権威)によって祈るようにと聖書は教えています。
イエス様は権威を与えてくださる方です。まず12弟子を任命し、彼らは預かった権威によってイエス様と同じように教えを広め、悪霊を追い出し、病人を癒しました。
弟子たちが頼るのはイエス様の力だけです。何も保証なしで行きなさい、とイエス様は言われました。
8 また、彼らにこう命じられた。「旅のためには、杖一本のほかは、何も持って行ってはいけません。パンも、袋も、胴巻きに金も持って行ってはいけません。
9 くつは、はきなさい。しかし二枚の下着を着てはいけません。」
クリスチャンは圧倒的な権威と守りの中にあります。イエス様は全てを支配し与えてくださる王の王です。その名(権威)を預かっているのがクリスチャンです。悪霊を恐れる必要は全然ありません。悪霊はイエス様の名で祈る時に出て行きます。必要なものが足りない、と心配する必要もありません。イエス様こそ全ての必要を与えてくださる方です。
イエス様は悪魔に勝利しています。また、クリスチャンも悪魔に勝利しています。悪霊を追い出す権威を僕らは預かっていますが、それは権威者であるイエス様に従うこととセットです。イエス様の権威を預かるのは、イエス様を信頼し従うことが前提です。従わない人に権威を預けることはありません。
自分の心の中を良く見てみましょう。敵対心やさばきや悪口やねたみがあったら「捨てます。やめます」と祈りましょう。「心の中に苦いねたみや敵対心」があるなら、それは「悪霊に属するもの」です。(ヤコブの手紙3.13-15) 
イエス様は僕らを愛する同労者としてくださっています。僕らはチームメイトであり、妻であり、親友であり、弟子です。ますますイエス様の権威を信頼しましょう。イエス様こそ王の王、全てです。
(新約聖書マタイ 28:18-19)
わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。

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