2023年5月25日木曜日

ヨシュア2章

 ヨシュア2章


町ごと人々を皆殺しにしてしまう、しかも神様がそれをする、と言う箇所が旧約聖書にたくさんあって、最初は「ん?」「神様って愛と赦しじゃなかったの?」と思いました。ところが、聖書は一貫して罪人もその町も呪われ消される、と伝えます。

イスラエルの民が、カナンの地に侵入するに当たって、先住民を「聖絶」するように命じられています。

「聖絶」という言葉は神の御前にのろわれたものを、絶滅したり徹底的に破壊して再び回復することができない形で主にささげることです。


最終的に、この世の終わりには神様が全世界の人をさばき、祝福される側と聖絶される側に分けます。後者は徹底的に破壊され、回復できない形にされます。その最後の聖絶はイエス様によって行われます。カナンの先住民が神様に滅ぼされていくのは、最終的な神様のさばきの予型です。


神様はエリコの町を聖絶するとおっしゃいました。イスラエルのリーダーヨシュアは2人のスパイをエリコに送ります。スパイは遊女の家に隠れますが、すぐにエリコの王に追われます。その時に、遊女ラハブは命をかけて2人をかくまい、逃がしました。彼女がイスラエル人をかくまったことは命懸けです。バレたらラハブも死刑です。それでも、彼女は神様の側につきました。命の危険があってもイスラエルの神様に付き、スパイをかくまい、本当の神様の側につき従います。それは神様こそ本当に世界を裁き滅ぼす方だと恐れ信じたからです。


(3-6)

3 それで、エリコの王はラハブのところに人を遣わして言った。「おまえのところに来て、おまえの家に入った者たちを出せ。その者たちは、この地のすべてを探ろうとしてやって来たのだから。」 

4 ところが、彼女はその二人をかくまって言った。「そうです。その人たちは私のところに来ました。でも、どこから来たのか、私は知りません。 

5 暗くなって門が閉じられるころ、その人たちは出て行きました。どこへ行ったのか、私は知りません。急いで彼らを追ってごらんなさい。追いつけるかもしれません。」 

6 彼女は二人を屋上へ上がらせ、屋上に積んであった亜麻の茎の中におおい隠していた。 



彼女は2人の前で神様を恐れ信じていることを告白します。神様が罪人を聖絶してしまうことを知り、今までエジプトやアモリ人もさばかれたことが本当だと知って恐れていること、だから自分は命をかけてイスラエルの神様の側につきたいこと、救ってほしいことを伝えます。


(9-13)

9 彼らに言った。「主がこの地をあなたがたに与えておられること、私たちがあなたがたに対する恐怖に襲われていること、そして、この地の住民がみな、あなたがたのために震えおののいていることを、私はよく知っています。 

10 あなたがたがエジプトから出て来たとき、主があなたがたのために葦の海の水を涸らされたこと、そして、あなたがたが、ヨルダンの川向こうにいたアモリ人の二人の王シホンとオグにしたこと、二人を聖絶したことを私たちは聞いたからです。 

11 私たちは、それを聞いたとき心が萎えて、あなたがたのために、だれもが気力を失ってしまいました。あなたがたの神、主は、上は天において、下は地において、神であられるからです。 

12 今、主にかけて私に誓ってください。私はあなたがたに誠意を尽くしたのですから、あなたがたもまた、私の父の家に誠意を尽くし、私に確かなしるしを与え、 

13 私の父、母、兄弟、姉妹、また、これに属するものをすべて生かして、私たちのいのちを死から救い出す、と誓ってください。」 



彼女は命をかけて神様の側に付き従いました。その信仰と行動は神様に義と認められます。新約聖書は「遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したため、その行いによって義と認められたではありませんか」(ヤコブ2:25)と言います。


今日も主は恐れるべき神様です。そして、神様の前では僕ら全ては罪人であり聖絶の対象です。だのに、神様はまずイスラエルを選び、愛し、滅びから救うために、契約を結ばれました。イスラエルが立派だったからでなく、神様の選びと憐れみです。そして、神様は繰り返し「生きるかぎり、あなたがたの神、主を恐れることを学ばなければならない。」と教えます。(申命記31.13)この救いの恵みと憐れみは僕ら外国人にも与えられています。ラハブも外国人でした。僕らも外国人です。主を恐れて信じた人は人種、国籍に関係なく救われることの先駆けです。(ガラテヤ3.28-29)

救われる方法はただ「主を恐れ信じること」です。神様が世界をさばくけども、イエス様が身代わりになって聖絶される側、呪われる側になってくださいました。それを信じ、イエス様の側に付き従うことです。


今日もイエス様の側を選択しましょう。イエス様に従うことを行動で表しましょう。それはどんなことよりも価値のあることです。裁きはあります。そして、恵みも救いもあります。「主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。」です。(詩篇 33:18 

今日も信じ、従う日でありますように。ハレルヤ!

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