2023年5月10日水曜日

創世記42.1-17

 創世記42.1-17


どんなに辛く悲しい生活に見えても、神さまのことばが実現することを信じる人には希望があります。そして、「この希望は失望に終わることがありません。」(ローマ5.5)そして神様のことばは本当に実現します。ヨセフは17才の頃神様から夢で啓示を与えられましたが、それは23年たって実現しました。



(創世記37.6-7)

ヨセフは彼らに言った。「私が見たこの夢について聞いてください。

見ると、私たちは畑で束を作っていました。すると突然、私の束が起き上がり、まっすぐに立ちました。そしてなんと、兄さんたちの束が周りに来て、私の束を伏し拝んだのです。」



与えられた当時は誰にも理解されず、兄たちから反感を買うだけのものでした。でも、神様からのメッセージの通りになり、兄たちはヨセフの前にひれ伏しました。



(5-9)

こうしてイスラエルの息子たちは、人々に混じって、穀物を買いにやって来た。カナンの地に飢饉が起こったからである。

ときに、ヨセフはこの地の権力者であり、この地のすべての人に穀物を売る者であった。ヨセフの兄弟たちはやって来て、顔を地に付けて彼を伏し拝んだ。

ヨセフは兄弟たちを見て、それと分かったが、彼らに対して見知らぬ者のようにふるまい、荒々しいことばで彼らに言った。「おまえたちはどこから来たのか。」すると彼らは答えた。「カナンの地から食糧を買いに参りました。」

ヨセフには兄弟たちだと分かったが、彼らにはヨセフだとは分からなかった。

かつて彼らについて見た夢を思い出して、ヨセフは言った。「おまえたちは回し者だ。この国の隙をうかがいに来たのだろう。」



人の言葉なら消えて生きます。でもいつまでも残るものは神様の約束への信仰です。その希望と期待は僕らを裏切ることがありません。みことばの約束は神様の愛です。神様の愛とことばは無くなりません。(1コリント13:13)希望が失望に終わることがない理由は神様の僕らへの愛が注がれ続けるからです。聖書は「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」と説明します。(ローマ5.5)


神様のヨセフへの約束と愛はひと時もなくなることがありませんでした。どんなに辛く苦しい時も神様の愛は注がれていました。人の言葉なら消えて行きます。人の決心や約束など虚しいものです。それによって縛られ傷つくことも多いです。でも、神様の言葉と愛は不滅です。神様のことばを持つ人は全てを持っているのと同じです。パウロは苦しみつつも宣言します。「死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。」(2コリント6:9-10)僕らが求めるのは人の言葉でも自分の決心でもありません。希望と愛に満ちた神様の約束です。この希望は失望に終わることがありません。ハレルヤ!






0 件のコメント:

コメントを投稿