創世記42.14-25
自分の過去の失敗にがっかりしている人は幸いです。自分のせいで崩れてしまった人間関係を悲しむ人は幸いです。正しいことができずに飢え渇く人は幸いです。イエス様は「義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。」とおっしゃいます。(マタイ5.6)そして、神様は僕らに和解と回復を与えてくださる方です。
誰かと和解するには2つのことが必要です。1つめは被害者が加害者を赦すことです。ペテロはイエス様に聞きました。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」イエス様は答えます。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」(マタイ18.21-22)これは何度でも、完全に、という意味です。クリスチャンは神様に祈ることができます。「( )さんを赦します」と。何度でも祈りましょう。
和解は片方が赦すだけでは成立しません。もう一つ大切なことは「加害者が罪を認めて悔い改めること」です。1、罪を認めること 2 悔い改めて行動を変えること の両方です。ヨセフは兄たちに妬まれ憎まれ売られ傷つけられた過去があります。ヨセフは兄たちを赦し、兄たちと和解することを願っていますが、和解に必要なプロセスは兄たちが「罪を認めて悔い改めること」です。
ヨセフは兄たちが自分をいじめたと同じように弟ベニヤミンをいじめ続けているのか、それとも悔い改めて変えられているのかを見極める必要がありました。それで、にエジプトの支配者として自分の正体を明かさないまま彼らに弟を連れてくるように命令します。弟ベニヤミンと兄たちとの関係を調べるためです。
(15-20)
次のことで、おまえたちを試そう。ファラオのいのちにかけて言うが、おまえたちの末の弟がここに来ないかぎり、おまえたちは決してここから出ることはできない。
おまえたちのうちの一人を送って、弟を連れて来い。それまで、おまえたちを監禁する。おまえたちに誠実さがあるかどうか、おまえたちの言ったことを試すためだ。もし誠実でなかったら、ファラオのいのちにかけて言うが、おまえたちは間違いなく回し者だ。」
こうしてヨセフは三日間、彼らを監獄に入れておいた。
ヨセフは三日目に彼らに言った。「次のようにして、生き延びよ。私も神を恐れる者だから。
もし、おまえたちが正直者なら、おまえたちの兄弟の一人を監獄に監禁したままにせよ。自分たちは飢えている家族に穀物を持って行くがよい。
そして、末の弟を私のところに連れて来るがよい。そうすれば、おまえたちのことばが本当だということが分かり、おまえたちが死ぬことはない。」そこで彼らはそのようにした。
兄たちは自分がヨセフをいじめた過去の罪を認め後悔していました。ヨセフはそれを聞いて彼らから離れて泣きます。
(21-24)
彼らは互いに言った。「まったく、われわれは弟のことで罰を受けているのだ。あれが、あわれみを求めたとき、その心の苦しみを見ながら、聞き入れなかった。それで、われわれはこんな苦しみにあっているのだ。」
ルベンが言った。「私はあの子に罪を犯すなと言ったではないか。それなのに、おまえたちは聞き入れなかった。だから今、彼の血の報いを受けているのだ。」
彼らは、ヨセフが聞いていることを知らなかった。ヨセフと兄弟たちの間には通訳がいたからである。
ヨセフは彼らから離れて、泣いた。
兄たちが罪を認めていることはわかりました。後悔していることもわかりました。
次に必要なことは、彼らの行動が変えられているかどうかを知ることです。バプテスマのヨハネは言います。「それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。」(ルカ3.8)悔い改めることは後悔するだけでなく、罪をやめて行動を変えることです。ヨハネは悔い改めにふさわしい行動として「下着を二枚持っている者は、一つも持たない者に分けなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい。」「だれからも、力ずくで金をゆすったり、無実の者を責めたりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。」と言います。
ヨセフは兄たちと弟ベニヤミンとの関係が変わっているかどうかを知ろうとします。聖書はしばしば信仰が行いを伴っているかと僕らに問います。また、それを吟味しなさい、見極めなさい、と教えます。主よ、主よ、と口だけでいう人が天の御国に入るのでなく、イエス様のことばをを聞いてそれに従う人が救われます。(マタイ7.21)イエス様はもう100パーセント僕らを赦し無罪としてくださっています。次は僕らが罪を認めること、そして悔い改めて行動を変えることです。「義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。」大丈夫です。必ず変えられます。時間はかかりますが和解は用意されています。信じて一歩踏み出しましょう。ハレルヤ!
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