創世記44.18-34
自分の子どもを失ったり、子どもが傷つけられる事は親の悲しみです。同じように、人が傷つけられる事は神様の悲しみです。
子どもを傷つけることはその親を傷つけることです。同じように、人を傷つけ苦しませることは神様を傷つけ悲しませることです。
ユダと兄たちは23年前、弟ヨセフを憎み、奴隷にして売りました。父親には「野獣に咬み殺されたらしい」と嘘をつきました。
その時は、それがどんなにどれだけ父親を悲しませることかわからなかったようです。
(創世記38章)
31,彼らはヨセフの長服を取り、雄やぎを屠って、長服をその血に浸した。
32,そして、そのあや織りの長服を父のところに送り届けて、言った。「これを見つけました。あなたの子の長服かどうか、お調べください。」
33,父はそれを調べて言った。「わが子の長服だ。悪い獣が食い殺したのだ。ヨセフは確かに、かみ裂かれたのだ。」
34,ヤコブは自分の衣を引き裂き、粗布を腰にまとい、何日も、その子のために嘆き悲しんだ。
35,彼の息子、娘たちがみな来て父を慰めたが、彼は慰められるのを拒んで言った。「私は嘆き悲しみながら、わが子のところに、よみに下って行きたい。」こうして父はヨセフのために泣いた。
弟を失わせたことで何年も父親を苦しめ続けたユダは変えられました。23年経って、今再び末の弟ベニヤミンが奴隷にされようとしています。
ユダはまた父親を苦しませることはできません。彼は弟ベニヤミンを解放してくれるように必死に訴えます。ベニヤミンを失うことは父親の苦しみです、父親の災いを見たくありません、私が身代わりになります、と。
(29-34)
29,おまえたちがこの子まで私から奪って、この子にわざわいが降りかかるなら、おまえたちは白髪頭の私を、苦しみながらよみに下らせることになる。』
30,私が今、あなた様のしもべである私の父のもとへ帰ったとき、あの子が私たちと一緒にいなかったら、父のいのちはあの子のいのちに結ばれていますから、
31,あの子がいないのを見たら、父は死んでしまうでしょう。しもべどもは、あなた様のしもべである白髪頭の父を、悲しみながらよみに下らせることになります。
32,というのは、このしもべは父に、『もしも、あの子をお父さんのもとに連れ帰らなかったなら、私は一生あなたの前に罪ある者となります』と言って、あの子の保証人となっているからです。
33,ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなた様の奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと一緒に帰らせてください。
34,あの子が一緒でなくて、どうして私は父のところへ帰れるでしょう。父に起こるわざわいを見たくありません。」
聖書は父と母を敬え、と教えます。それはその子どもたちを大事にすることです。子どもたちを愛することはその父母を尊敬することです。同じように兄弟姉妹を愛することは神様を敬うことです。逆に、兄弟姉妹が傷つき苦しむことは神様にとっての悲しみです。
聖書は何度も愛し合いなさい、互いに人を自分より上だと思いなさい、兄弟のために命を捨てることは大きな愛だと教えます。それは神様への愛であり、神様を敬うことです。親の悲しみは子どもが傷つくことです。親の喜びは子どもが愛されていることです。同じように神様の悲しみは兄弟姉妹が傷つくことです。そして、兄弟姉妹が愛しあうことは神様の喜びです。
子どもたちを兄弟姉妹を大事にすることは神様を愛することです。今日も神様の子どもたちが愛され大事にされますように。神様の喜びが地上で現されますように。
(詩篇133篇)
1,見よ。なんという幸せなんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになってともに生きることは。
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