ヨシュア12章
ボンヘッファーという神学者は、罪を捨てて自分を捨てて従うことをしないキリスト教を「安価な恵み」と言って批判しています。聖書の教えを体系的に知るだけで、罪の悔い改めもなく、従うこともないままに赦しを教え、洗礼をし、聖餐式をしている教会の現実を嘆き、「投げ売り品のような恵みである。投げ売りされた赦し、投げ売りされた慰め、投げ売りされた聖礼典」と言い、「それは、とりも直さず、代価のいらない、コストのかからぬ恵みのことである。」と言っています。
反対に、「高価な恵み」とは全財産を捨ててイエス様に従うことであり、その価値のためには自分のいのちさえ捨てて従うことだと主張します。畑に隠された宝を見つけた人のように全財産を投げ捨てて手に入れる恵みです。自分の網を捨てて従う価値のあることであり、自分の命をかける価値のあることです。そのためにつまづきとなるならたとえ目であっても捨てる覚悟です。(マタイ5.29)
聖書は、神様がアブラハムにもモーセにもヨシュアにも約束された通りに、カナンの土地を与えてくださいました。それら一つ一つの戦いは命がけでした。そしてそれは、神様の言葉に聞き従った結果であり、神様ご自身が戦い勝利させてくださった結果です。ヨルダン川の西側の敵が滅ぼされたのは、モーセとイスラエルが「主のしもべ」(6)として聞き従った結果です。
(6)
主のしもべモーセとイスラエルの子らは、彼らを討った。主のしもべモーセはルベン人とガド人と、マナセの半部族に、その地を所有地として与えた。
そして、聖書はヨルダン側の東側で神様が滅ぼされた31人の王様たち一人ひとりを数え上げています。エリコの王と戦った時にはひたすらその城壁を祈りつつ七日の間回りました。アイの王との戦いではイスラエルの中にある罪が見つかり、それを捨て去る痛みを経験しました。
ヨシュア記12章の勝利のリストは一つ一つが神様の恵みのリストです。そして、その恵みはヨシュアとイスラエルが自分の計画ではなく、自分を捨てて神様のことばを求め、それに聞き、従った結果でした。
7 ヨルダン川のその反対側、西の方で、レバノンの谷のバアル・ガドから、セイルへ上るハラク山までで、ヨシュアとイスラエルの人々が討ったその地の王たちは、次のとおりである。ヨシュアはイスラエルの部族に、彼らへの割り当てにしたがって、この地を所有地として与えた。
8 この王たちは山地、シェフェラ、アラバ、傾斜地、荒野、ネゲブに住んでいて、ヒッタイト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人であった。
9 エリコの王、一人。ベテルの隣のアイの王、一人。
10 エルサレムの王、一人。ヘブロンの王、一人。
11 ヤルムテの王、一人。ラキシュの王、一人。
12 エグロンの王、一人。ゲゼルの王、一人。
13 デビルの王、一人。ゲデルの王、一人。
14 ホルマの王、一人。アラドの王、一人。
15 リブナの王、一人。アドラムの王、一人。
16 マケダの王、一人。ベテルの王、一人。
17 タプアハの王、一人。ヘフェルの王、一人。
18 アフェクの王、一人。シャロンの王、一人。
19 マドンの王、一人。ハツォルの王、一人。
20 シムロン・メロンの王、一人。アクシャフの王、一人。
21 タアナクの王、一人。メギドの王、一人。
22 ケデシュの王、一人。カルメルのヨクネアムの王、一人。
23 ドルの高地の、ドルの王、一人。ギルガルのゴイムの王、一人。
24 ティルツァの王、一人。全部で三十一人の王である。
今日も神様の恵みがあり、祝福のご計画があります。そして、その恵みは僕らが自分を捨てて従うこととセットで実現します。大変そうに見えるけど、イエス様は「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」とおっしゃいます。(マタイ11.30)今日も従いましょう。自分でなく神様の祝福のためのご計画が進みます。僕らが思う以上の神様のご計画が実現します。神様のなさることは予想を遥かに超えています!
0 件のコメント:
コメントを投稿