2023年7月31日月曜日

1コリント16.1-12

 1コリント16.1-12


キリストは見えません。見えないキリストがなさることを今、誰がするのか?答えは「教会」です。教会がキリストのからだで、一人一人はその部分だと何度も聖書は繰り返します。(1コリント6.15、10.16、12.27)キリストの体につながることはキリストにつながることです。教会がすることはキリストのからだがすることです。イエス様は「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。(…中略…)わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」とおっしゃいます。(ヨハネ15.5)


パウロは伝道者として福音を伝えるし、それによって迫害も受けるけど、それは教会と離れたソロ活動ではありません。彼は「どこに向かうにしても、あなたがたに送り出してもらう」といいます。(16.6)それは、教会に祈られ送り出されて活動することは、キリストに送り出してもらって活動することだからです。迫害も受けるけど、それは孤軍奮闘ではなく教会のみんなも一緒に祈り、一緒に戦うためです。実りが多い時はみんなで喜ぶためです。後方支援こそ大事です。だからパウロはまずしっかりとコリントの教会に滞在したい、と願います。



(6-9)

6,おそらく、あなたがたのところに滞在するでしょう。冬を越すことになるかもしれません。どこに向かうにしても、あなたがたに送り出してもらうためです。

7,私は今、旅のついでにあなたがたに会うようなことはしたくありません。主がお許しになるなら、あなたがたのところにしばらく滞在したいと願っています。

8,しかし、五旬節まではエペソに滞在します。

9,実り多い働きをもたらす門が私のために広く開かれていますが、反対者も大勢いるからです。



パウロは自分だけでなく、テモテと言う若い伝道者も受け入れて、安心させて欲しい、と願います。彼もまた教会に守られ、祈られて送り出される必要があるからです。


(10-11)

10,テモテがそちらに行ったら、あなたがたのところで心配なく過ごせるようにしてあげてください。彼も私と同じように、主のみわざに励んでいるのです。

11,だれも彼を軽んじてはいけません。彼を平安のうちに送り出して、私のところに来させてください。私は、彼が兄弟たちと一緒に戻るのを待っています。



宣教師だけの話ではありません。僕らはキリストの体につながり、教会のみんなに祈られ保護されて職場に、学校に出て行きます。そこは戦場です。教会はキリストの体です。キリストを離れては僕らは弱く脆いものです。「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」今日も仲間に祈ってもらいましょう。助けてもらいましょう。弱さを知ってもらいましょう。喜びを知ってもらいましょう。それはどうしても必要なことです。神様は最初から「人が、ひとりでいるのは良くない。」とおっしゃいます。(創世記2.18)助けましょう。助けてもらいましょう。受け入れましょう。受け入れてもらいましょう。それこそキリストにつながることです。ハレルヤ!



(1コリント12.26-27)

一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。

あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。

1コリント15.12-28

 1コリント15.12-28


復活の話をすると、なんか急にファンタジーっぽくなって信じられない人も多いようです。「イエス様の教えは好きだしいいと思うけど、復活はないわー。」と言う人もいます。おとぎ話みたいに感じてしまう人がいるのは、聖書の時代も同じでした。コリントの教会の中にも復活を否定する人たちがいたようです。



(12-14)

12,ところで、キリストは死者の中からよみがえられたと宣べ伝えられているのに、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はないと言う人たちがいるのですか。

13,もし死者の復活がないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。

14,そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。



キリストの復活がなければ僕らの復活もナシです。神様の王国もナシ、永遠のいのちもナシです。ただ墓場に向かって、年老いて死んでいくだけの人生です。信仰とか希望とか全部ウソになってしまいます。信仰する必要も宣教する必要もないし、聖書は何度もそれはむなしいと繰り返します。真面目に信じる人の方が哀れです。



(17-19)

17,そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。

18,そうだとしたら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったことになります。

19,もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。



実際に死んでみたら何もないのなら、生きているうちに価値のあることをして、美味しいもの食べて楽しくやろう、と言うことになります。



(32)

もし死者がよみがえらないのなら、「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ、明日は死ぬのだから」ということになります。



キリストが復活せず、僕らもただ死んでいくだけなら、この世で価値のあること、この世で認められること、評価されること、美しいこと、楽しいことのために生きれば良いのです。


しかし、復活はあります。惨めな姿で殺されたキリストは、復活して全ての栄光を持っておられます。そして、全ての権力と栄光を持ってもう一度この地上に来られます。大逆転が待っています。


この世で楽しく価値がある、と思って積み重ねてきたことは、まるで花が散るよう、草が枯れるように消えていきます。人間が誇ってきたことは全て失われます。聖書が伝えているのは福音です。良いしらせ、喜びの知らせです。キリストは死んで復活しました。そして、キリストを信じる僕らも同じように死にますが復活します。キリストは初穂、最初の復活、お手本です。僕らはそれに倣います。同じように栄光の体に復活します。



(20-22)

20,しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

21,死が一人の人を通して来たのですから、死者の復活も一人の人を通して来るのです。

22,アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。



キリストは復活して生きておられます。やがてこの世界を全て神様の王国にします。神様を無視してきた人間の力や人間の栄光は全て消え、神様の完璧な世界が来ます。神様の栄光だけが誉めたたえられる世界です。



(24-25)

24,それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡されます。

25,すべての敵をその足の下に置くまで、キリストは王として治めることになっているからです。

26,最後の敵として滅ぼされるのは、死です。



惨めな十字架で死なれたイエス様が復活して栄光の姿を持っておられるように、僕らも老いて弱っていく体から栄光の体に復活します。まるでタネから全く新しい作物ができるようです。



(35-38)

35,しかし、「死者はどのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか」と言う人がいるでしょう。

36,愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ生かされません。

37,また、あなたが蒔くものは、後にできるからだではなく、麦であれ、そのほかの穀物であれ、ただの種粒です。

38,しかし神は、みこころのままに、それにからだを与え、それぞれの種にそれ自身のからだをお与えになります。



今、僕らが誇りとしていることは消えていきます。そして、神様の栄光だけが全てになります。病も死も悲しみも叫びも苦しみも消えていきます。

だから僕らは今から神様の王国を先取りし、神様の栄光だけを求め、誉めたたえています。


今日も祈りましょう。御国が来ますように。と。「死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。」(52)御国は来ます。希望を持って忍耐し労苦していることはムダにはなりません。御国は来ます。


58

ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。


復活はあります。逆転が待っています。今日も労苦して主に仕えましょう。それが正解です。ハレルヤ!


2023年7月26日水曜日

1コリント15.1-11

 1コリント15.1-11


人生で大事なものは?という問いに、お金、健康、仕事、人間関係、思いやり、愛などなど、いろんな答えがあります。パウロはその答えは「福音」だと言います。福音とは、喜びの知らせです。パウロは福音を「あなたがたに最も大切なこととして伝えた」と言います。(3)


(3-5)

3,私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

4,また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、

5,また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。



一番大事なことはキリストが僕らの罪のために死なれたことです。キリストが神の怒りと呪いを引き受けて死んでくださり、僕らは無罪とされました。誰がなんと言おうと無罪です。殺人犯も無罪です。パウロは最初クリスチャンを迫害して殺したこともあったようです。(9、使徒22.4)僕らも拷問殺人はしなくても、心の中では毎日のように悪意が出るし、それは態度や口に出ちゃいます。でも、無罪宣言があります。キリストが僕らの身代わりに死んでくださったことは一番大事な、喜びの知らせです。「キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ8.1)しかも、無罪で終わりません。キリストは今も生きて一緒にいて、僕らを新しくしてくれます。この時代には復活したイエス様にリアルに会った人たちがたくさんいました。



(6-8)

6,その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。

7,その後、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れました。

8,そして最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。



2023年の今日もキリストは生きて僕ら一人一人と一緒にいてくださいます。僕らを新しく変えておられるのは復活のキリストです。聖書は12-14章までずっと御霊によって生きることを教えてきましたが、実は、御霊はキリストの御霊でありキリストご自身です。「最後のアダム(キリスト)はいのちを与える御霊となりました。」(15.45)



一番大事なことは喜びの知らせである福音です。今日もキリストは生きておられ、僕らと一緒にいて新しい人に変え続けてくださっています。キリストによってお金、健康、仕事、人間関係、思いやり、愛、必要なものは全部ちょうどよく与えられます。大事なことは福音です。パウロは献身的に福音のためにたくさん働きましたが、全部神様から頂いた力でした。



(10)

ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。



今日も無罪です。愛されている子どもになりました。そして、生きておられるキリストの御霊が僕らのからだに住んでおられます。僕らはキリストと繋がりました。今日も、これからもずっと、永遠にです。これが喜びの知らせです。一番大事なことです。「私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。」(2)ハレルヤ!




求めて ピアノとサックス

初対面なのに初めて感が全然ない廣瀬開くんと一発録画させてもらいました。神様に対する情熱とか喜びが伝わってきて嬉しかったです。打ち合わせなしでも次の展開がわかるのが感謝でした。

 

2023年7月25日火曜日

1コリント14.26-32

 1コリント14.26-32


自分さえ良ければいい、と思うのが人間です。ところが、イエス様の御霊が与えられると「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」と思うようになります。(ピリピ2.4)御霊は親切さや自制心を与えてくれます。(ガラテヤ5.22-23)「人を自分よりもすぐれた者と」思わせてくれるのが御霊です。(ピリピ2.3)御霊は愛です。仲間を愛し、仲間を尊敬し、すべての人が慰めを受け励ましを受けるよう「大人になりなさい」と聖書は言います。(20)



(20)

兄弟たち、考え方において子どもになってはいけません。悪事においては幼子でありなさい。けれども、考え方においては大人になりなさい。



大人になることは、みんなが理解できる言葉で、みんなの成長のため、みんなが励まされるための方法や秩序を選ぶことです。




(26-31)

26,それでは、兄弟たち、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれが賛美したり、教えたり、啓示を告げたり、異言を話したり、解き明かしたりすることができます。そのすべてのことを、成長に役立てるためにしなさい。

27,だれかが異言で語るのであれば、二人か、多くても三人で順番に行い、一人が解き明かしをしなさい。

28,解き明かす者がいなければ、教会では黙っていて、自分に対し、また神に対して語りなさい。

29,預言する者たちも、二人か三人が語り、ほかの者たちはそれを吟味しなさい。

30,席に着いている別の人に啓示が与えられたら、先に語っていた人は黙りなさい。

31,だれでも学び、だれでも励ましが受けられるように、だれでも一人ずつ預言することができるのです。



素晴らしい預言をしても異言を話しても愛がなければ無意味です。(13.2)そもそも、預言を与えてくださる御霊は互いに従い合い、平和をもたらす方です。もしも、教会で誰の意見が正しいか、強いか、誰の順番か、でモメていたらそれは御霊から出たものではないです。御霊は礼儀に反することがありません。(13.5)語ることもできるし、聞く側にもなれます。神様のことを語る人も黙り、聞く側になり、教えられ励まされる必要があります。(30-31)そうさせてくださるのが御霊です。



(32-33)

32,預言する者たちの霊は預言する者たちに従います。

33,神は混乱の神ではなく、平和の神なのです。



教会のモメごとの多くは「神様はこうだ、聖書にこう書いている!」「自分は正しい、あなたは間違っている」という熱心な人同士の戦いです。でも、実によって見分けることができます。御霊は自分より「人を育てることばや勧めや慰めを、人に向かって話します。」(14.3)熱心な、私が私が、と主張する人が正しいのではありません。イエス様は言われます。



(マタイ7.20-23)

20,こういうわけで、あなたがたは彼らを実によって見分けることになるのです。

21,わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。

22,その日には多くの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。』

23,しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』



みんな教えられ、愛され、励ましを受ける必要があります。自分もそれが必要です。今日も励まし、慰めの神様からの言葉を語りましょう。そして、自分も他の人から神様のことばを教えてもらいましょう。預言する者たちの霊は預言する者たちに従います。神は混乱の神ではなく、平和の神なのです。」(32-33)





2023年7月24日月曜日

1コリント14.1-19

 1コリント14.1-19


神学校の時、世界的に有名な分厚い注解書を出しているスゴい先生がいました。ただ全部英語だったので僕にとっては全く意味不明でした。また、神学生たちに「ヘブル語わかるよね」というテイで話す先生もいましたが、それは僕にとってはただ辛い時間でした。反対に、ヘブル語のイロハを僕のレベルまで降りて説明してくれる先生がいて、その時間は心に染み渡る喜びの時間でした。


同じように、聖書はどんなにスゴい異言(神様と自分だけがわかる天のことば)で賛美し、祈り、奥義を語るより、意味のわかる言葉で話す方がみんなの成長になる、と言います。それが愛することです。



(1-5)

1,愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。

2,異言で語る人は、人に向かって語るのではなく、神に向かって語ります。だれも理解できませんが、御霊によって奥義を語るのです。

3,しかし預言する人は、人を育てることばや勧めや慰めを、人に向かって話します。

4,異言で語る人は自らを成長させますが、預言する人は教会を成長させます。

5,私は、あなたがたがみな異言で語ることを願いますが、それ以上に願うのは、あなたがたが預言することです。異言で語る人がその解き明かしをして教会の成長に役立つのでないかぎり、預言する人のほうがまさっています。



聖書は「みな異言で語ることを願います」(5)異言で祈る賜物が与えられた人たちはみんな「すばらしい」「時間を忘れる」と言います。パウロも「私は、あなたがたのだれよりも多くの異言で語っていることを、神に感謝しています。」(18)と言い、「異言で語る人は自らを成長させます」(4)と書いています。でも、続きがあります。



(5)

それ以上に願うのは、あなたがたが預言することです。異言で語る人がその解き明かしをして教会の成長に役立つのでないかぎり、預言する人のほうがまさっています。



(19)

しかし教会では、異言で一万のことばを語るよりむしろ、ほかの人たちにも教えるために、私の知性で五つのことばを語りたいと思います。



預言とは神様のことばを伝えることです。しかも、それはみんなに意味のわかる言葉で、教会を愛して成長に役立つことばです。教会の専門用語は相手が理解できないなら使わない方がいいです。子どもたちにとっては、難解なクラッシックよりもスゴい難しいジャズよりも、アンパンマンの歌の方が価値があります。わかる歌だからです。同じように、意味のわかる言葉で神様のことを伝えることは相手を成長させ慰め励まします。「預言する人は、人を育てることばや勧めや慰めを、人に向かって話します。」(3)



(7-9)

7,笛や竪琴など、いのちのない楽器でも、変化のある音を出さなければ、何を吹いているのか、何を弾いているのか、どうして分かるでしょうか。

8,また、ラッパがはっきりしない音を出したら、だれが戦いの準備をするでしょう。

9,同じようにあなたがたも、舌で明瞭なことばを語らなければ、話していることをどうして分かってもらえるでしょうか。空気に向かって話していることになります。



今日の箇所は「愛を追い求めなさい。」(1)という文脈です。もちろん、神様を愛し、神様と自分だけの異言で密室で祈るのも素晴らしいし、自分が成長します。でも、人を愛することはわかる言葉を使うことです。相手が成長するため、慰めを受けるため、希望と信仰が与えられるためです。イエス様は地上まで降りてきてくださいました。天上のことばを使わず、当時の人たちがわかる言葉で、日常のたとえ話を使って教えてくださいました。御霊はイエス様の霊です。僕らの心に口にイエス様の霊が与えられています。イエス様の口として愛し、成長させ、慰める言葉が今日も与えられますように。