士師記8.22-35
霊的な戦いとは、賛美と栄光、そして主権を主にお返しすることです。そのために僕らは戦います。敵は人やモノやお金に頼らせ、それらを誇らせ、賛美させようとします。弱い僕らは見えない神様よりも、業績や結果を出した見える人を信頼し、その人を賛美しがちです。ギデオンは100パーセント神様の力「だけ」でイスラエル人たちを救い、勝利しました。だけど、周りの人たちは「ギデオンすごい!!」となってしまったようです。人々は、ギデオンとその子どもたちが王様になり、支配してください、とお願いしますが、ギデオンはキッパリ断ります。主だけが王であり支配者だからです。
(22)
22,イスラエル人はギデオンに言った。「あなたも、あなたの子も、あなたの孫も、私たちを治めてください。あなたが私たちをミディアン人の手から救ったのですから。」
23,しかしギデオンは彼らに言った。「私はあなたがたを治めません。また、私の息子も治めません。主があなたがたを治められます。」
勝利は神様のものです。賛美と栄光も主のものです。イスラエルを支配し、守り、祝福してくださるのは神様です。
だけど、人からちやほやされて持ち上げられると、ギデオンもちょっとだけ「自分の手柄も残そうなかな」と思ったようです。人間は弱いものです。神様がくださったことを自分の手柄であるように誉められると、記念に何か残そうかと思いがちだし、記念碑やトロフィーや賞状は僕らの好物です。ギデオンは大祭司ではないのに、金を集めて大祭司が身につけるエポデを自分で作りました。本来、大祭司が身につけるエポデは人類の代表として神様の前に出るためのものです。(詳しくは出エジプト28章)ギデオンは大祭司ではありません。主に用いられただけなのに、「自分は人々を代表して主の前に出る人」の座に就こうと思う気持ちが少しだけあったようです。
(24-27)
24,ギデオンはまた彼らに言った。「あなたがたに一つお願いしたい。各自の分捕り物の耳輪を私に下さい。」殺された者たちはイシュマエル人で、金の耳輪をつけていた。
25,彼らは「もちろん差し上げます」と答えて、上着を広げ、各自がその分捕り物の耳輪をその中に投げ込んだ。
26,ギデオンが求めた金の耳輪の重さは、金千七百シェケルであった。このほかに、三日月形の飾りや、耳飾りや、ミディアンの王たちの着ていた赤紫の衣、またほかに、彼らのらくだの首に掛けてあった首飾りなどもあった。
27,ギデオンは、それでエポデを一つ作り、彼の町オフラにそれを置いた。イスラエルはみなそれを慕って、そこで淫行を行った。それはギデオンとその一族にとって罠となった。
このエポデは勝利の記念のつもりだったけど、「ギデオンとその一族にとって罠」となりました。(27)自分の手柄をアピールしたい気持ちも混じっていたようです。そして、人々もまた、神様ではなく作ったエポデを簡単に偶像にしてしまいました。結局人々はそれを慕い、拝み、淫行を行ようになります。(27)見えない神様を讃えるよりも、見える人、見えるモノを拝みたがるのが僕らの罪の性質です。
神様に良くしてくださった時にこそ、与えられた時こそ、うまくいった時こそ全てをささげる時です。「勝って兜の緒を締めよ」です。次の敵は自分の栄光、自分の手柄、自分の主権です。エポデが偶像になるという敵が迫っていたのにギデオンもイスラエルもそれに気が付きませんでした。(27)
良い指導者は、神様だけを賛美し、神様の素晴らしさだけを見せ紹介し、神様だけを礼拝し賛美するように指導します。悪い指導者は、自分自身の業績や良さを現わし残そうとします。本当の戦いとは賛美と栄光、そして主権を主にお返しする戦いです。
なぜ今日それをするのか、スケジュールの動機を自分に聞いてみましょう。主の栄光か、自分の栄光か、神様を愛するゆえか、自分の栄光と利益のためか、です。本当は何を求めているか、自分が一番よく知っています。今日ももう一度自分を手放して主に捧げましょう。御名が聖とされるように祈りましょう。「私たちにではなく 主よ 私たちにではなく ただあなたの御名に栄光を帰してください。あなたの恵みとまことのゆえに。」(詩篇115.1)と祈りましょう。全ての栄光が主にだけありますように。ハレルヤ!
0 件のコメント:
コメントを投稿