詩篇26篇
神様は僕らの心の奥まで知っておられます。自分でも無意識だし、他人にも自分にもバレてないけども、意外と他人を裁き、神様を軽んじ、心の中いは悪意と淫らなことで一杯だったりすることがあります。タチの悪いことに、それに加えて上手にいいクリスチャンっぽく振る舞ったりします。聖書の祈りは「主よ私を調べ試みてください。私の心の深みまで精錬してください。」です。(2)神様が僕らの気がつかない本音を教えてくださるからです。しかも、精錬し、ゴミを取り除いてくださいます。
イエス様が真理です。イエス様が恵みです。そのイエス様と一緒に、イエス様の中を、イエス様に繋がって歩んでいるかどうか、そして、大丈夫な「フリ」をする偽善がないかどうか、神様が調べてくださいます。
(2-4)
2,主よ私を調べ試みてください。私の心の深みまで精錬してください。
3,あなたの恵みは私の目の前にありあなたの真理のうちを私は歩み続けました。
4,私は不信実な人とともに座らず偽善者とともに行きません。
実は人の悪口陰口が好きだったりします。神様が命を捨てて愛している兄弟姉妹の欠点をネタに楽んだりします。感謝するよりも、不満を並べ、神様の恵みや素晴らしさを語るより、問題点や不安ばかりを並べてイライラし、神様を求めようとしないこともあります。
神様が僕らを調べてくださいます。そして、その罪を認めて、告白して、捨てて、もう一度神様に感謝し、赦されたものとして神様の愛を、偉大さを話すように変えられます。心で憎んで、口ではいいことを言う、そんな偽善をやめることができます。
(3-8)
3,あなたの恵みは私の目の前にありあなたの真理のうちを私は歩み続けました。
4,私は不信実な人とともに座らず偽善者とともに行きません。
5,悪を行う者の集まりを憎み悪しき者とともに座りません。
6,手を洗い自らの潔白を示します。主よ私はあなたの祭壇の周りを歩きます。
7,感謝の声を響き渡らせて語り告げます。あなたの奇しいみわざのすべてを。
8,主よ私は愛します。あなたの住まいのある所あなたの栄光のとどまる所を。
自分に聞いてみましょう。神様に調べてもらいましょう。本音はどう思っているか。本当に神様を愛しているか、神様の栄光を求めているか、兄弟姉妹を愛しているか、それともその反対か。ダビデの時代の礼拝は手を洗い、祭壇で生け贄を捧げて赦され、献身を表明しました。「手を洗い自らの潔白を示します。主よ私はあなたの祭壇の周りを歩きます。」(6)同じように、イエス様の十字架の血は僕らの罪を完全に洗い、きよめてくださいます。そして、僕らは完全にイエス様のものとなりました。無罪とされています。きよめられています。そして、僕らの心も体もイエス様に捧げられたものです。自分を調べてもらいましょう。そして精錬してもらいましょう。生活するとどうしても生ごみが出るように、罪はどうしても出てしまいます。でも、大丈夫です。イエス様のきよめは完全です。罪を言い表すなら、全ての悪からきよめられます。大丈夫です。今日、告白しましょう。そして捨てましょう。感謝を、賛美を、主の栄光を求めましょう。ハレルヤ!(1ヨハネ1.8-9)