マタイ7.13-29
生き方は2つあります。1つは、自己を喜ばせる簡単な方法です。もう1つは、イエスのために自分を否定する道です。イエス様はこちらの狭い門から入りなさい、とおっしゃいました。自己を喜ばせるは破滅につながる道、自己否定の道はいのちにつながる道です。こちらは人々から理解されない、細い道です。この、本物のいのちの道を発見する人はわずかです。
(マタイ7.13-14)
13,狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。
14,いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。
イエス様は、「自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」とおっしゃいました。(マルコ8.34)自分の願いも計画も財産や経験なども全て手放すことです。自己放棄による完全服従です。そこには、本当の自由、解放、御霊による喜びがあります。
反対に「願いが叶う」「あなたの思うままでいい」「生活水準が上がる」「悪霊を追い出せる」「病気が治る」などなど、イエス様を自分の利益のために利用できるように教える人もいます。こちらは人々から支持され喜ばれがちな広い門、広い道です。ところがその先は滅びに至り、御霊によって与えられる喜びも平安もありません。不満と不安が募るばかりです。思い通りになれば少しだけ喜び、そうでなければ文句ばかりです。いつもアップダウンを繰り返し、最後に神様から言われます。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』と。(23)
僕らは「先生」と言われている人たちの行動をよく見て判断する必要があります。いのちに繋がる狭い道を教えているか、それとも滅びに至る広い道を教えているか、です。それを見分ける方法があります。その先生が自分を捨てて従っているか、それとも実際は自分の利益や名誉のためにやっているのか、です。教会が本当の牧師を選ぶときには奥さんにそっと聞くのが良いそうです。「あなたの夫は家の中で犠牲を払って神様とあなたを愛してますか?」と。
(15-20節)
15,偽預言者たちに用心しなさい。彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、内側は貪欲な狼です。
16,あなたがたは彼らを実によって見分けることになります。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるでしょうか。
17,良い木はみな良い実を結び、悪い木は悪い実を結びます。
18,良い木が悪い実を結ぶことはできず、また、悪い木が良い実を結ぶこともできません。
19,良い実を結ばない木はみな切り倒されて、火に投げ込まれます。
20,こういうわけで、あなたがたは彼らを実によって見分けることになるのです。
良い話をする人であっても、その人がどんな生活をしているかが大事です。自分を捨てているか、敵を愛し赦し受け入れているか、右を打たれたら左を出しているか、人と和解しようとしているか、キリストと一緒に死に、キリストと一緒に十字架を背負って生きているか、です。それは行動によって見分けることができます
いくら立派な聖書研究をしても、それにイエス様に従う気がないなら無意味です。砂浜に家を建てた愚かな人のようで、すぐに崩れ去ります。もしイエス様のことを口にして、悪霊追い出したり、奇跡を行ったとしても、それはイエス様によることではありません。悪霊さえ同じことをすることができます。
(21節から23節)
21,わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。
22,その日には多くの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。』
23,しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』
大事な事は、イエス様のみことばを聞くだけではなく、それに従うことです、イエス様のために持ち物を全部喜んで手放してしまう従い方です。誘惑となるのなら、たとえ目であっても捨ててしまうような従い方です。楽しく儲かる網も船も捨ててイエス様に従うことです。これはカルトではなく、喜びと祝福の生き方、そして永遠のいのちに至る細い道です。「それを見出す者はわずかです。」(14)キリスト教理や神学を教え、知識を増やしても、従っていないのなら、まるで砂の上に自分の家を建てた愚かな人のようです。
(24節から27節)
24,ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。
25,雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。
26,また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。
27,雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。」
「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」(ヤコブ1.22)狭い門でも、理解されない道でも従いましょう。捨てるべきものは捨てましょう。赦すべき人はちゃんと赦しましょう。愛すべき人には行動で表しましょう。聞くだけで行動しないのは滅びに至る道です。でも、聞いて、従うことは、それがどんなに大きな犠牲であっても倒れない家、永遠の家、本物の祝福の道です。今日、従いましょう。ハレルヤ!
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