出エジプト35.20-35
息をして心臓が動いていること、意識があること、全部神様の力です。自分が存在自体が神様の力です。まして、見えない神様を信じて喜んでいること、お仕えしたい気持ちがあることは100%からです。頑張って信じた人はいません。
神様と会い、礼拝するための天幕を作るように神様はおっしゃいました。人々はそれを聞き、喜んで捧げものを持って来て言われた通りに作りました。最初から最後まで神様によって動かされた心、神様によって与えられた力です。
(21節から26節)
21,心を動かされた者、霊に促しを受けた者はみな、会見の天幕の仕事のため、そのあらゆる奉仕のため、また聖なる装束のために、主への奉納物を持って来た。
22,進んで献げる心のある者はみな、男も女も、飾り輪、耳輪、指輪、首飾り、すべての金の飾り物を持って来た。金の奉献物を主に献げる者はみな、そのようにした。
23,また、青、紫、緋色の撚り糸、亜麻布、やぎの毛、赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮を持っている者はみな、それを持って来た。
24,銀や青銅の奉納物を献げる者はみな、それを主への奉納物として持って来た。アカシヤ材を持っている者はみな、奉仕のあらゆる仕事のためにそれを持って来た。
25,また、心に知恵ある女もみな、自分の手で紡ぎ、その紡いだ青、紫、緋色の撚り糸、それに亜麻布を持って来た。
26,心を動かされ、知恵を用いたいと思った女たちはみな、やぎの毛を紡いだ。
同じように、今僕らが与えられてるお金も時間も能力も全部神様からのものです。神様に献げたい、お仕えしたい気持ちも、御霊から与えられるものです。「働きはいろいろありますが、同じ神がすべての人の中で、すべての働きをなさいます。皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです。」(コリント人への手紙 第一12章6~7節)
特定の人だけに与えられる能力もあります。当時、技術やデザイン能力はある人だけに与えられましたが、同時にその技術を他の人に教える力も神様は与えてくださいました。与えられた技術は握りしめるものではなく、次の人たちに教え、分けていくものです。全ては神様の住まいを作るためです。人に教えることも神様のためです。
(30節から35節)
30,モーセはイスラエルの子らに言った。「見よ。主は、ユダ部族の、フルの子ウリの子ベツァルエルを名指して召し、
31,彼に、知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たされた。
32,それは、彼が金や銀や青銅の細工に意匠を凝らし、
33,はめ込みの宝石を彫刻し、木を彫刻し、意匠を凝らす仕事をするためである。
34,また、彼の心に人を教える力をお与えになった。彼と、ダン部族のアヒサマクの子オホリアブに、そのようにされた。
35,主は彼らをすぐれた知恵で満たされた。それは彼らが、あらゆる仕事と巧みな設計をなす者として、彫刻する者、設計する者、青、紫、緋色の撚り糸と亜麻布で刺繡する者、また機織りをする者の仕事を成し遂げるためである。
すぐに自分の力や手柄だと誤解しがちな僕らです。聖書は警告しています。「あなたがたはそんなにも愚かなのですか。御霊によって始まったあなたがたが、今、肉によって完成されるというのですか。」(ガラテヤ人への手紙 3章3節)もしも僕らの中に虚栄心、分裂、分派、裁きあいが始まっていたら、もうそれは御霊の働きではありません。(ガラテヤ5.19-26)
今日も僕らは0%です。「私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。」(ガラテヤ人への手紙5章25節)働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みです。(コリント人への手紙 第一15章10節)今日も最初から最後まで全部神様です。ハレルヤ!
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