ピリピ1.1-11
パウロが書いた手紙はイエス様の心そのものです。ピリピの教会の皆さん一人一人のことを思い出し、そのたびに溢れる感謝と喜びはパウロから出たものでなく「キリスト・イエスの愛の心」(8)です。
(8節)
私がキリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあなたがたすべてを慕っているか、その証しをしてくださるのは神です。
パウロは教会の一人ひとりの名前を挙げて神様に感謝しています。それは神様の喜びであり祈りです。イエス様の御霊が仲間を慕い、一緒に奉仕することを喜んでおられます。「良い働きを始められた方」は神様です。そして一緒に奉仕するのを喜んでくださるのもまた神様です。神様の思いは祈りに現れます。祈りの中で思い慕い、感謝することは神様の心そのものです。
(3~6節)
私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝しています。
あなたがたすべてのために祈るたびに、いつも喜びをもって祈り、
あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しています。
あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。
ピリピ教会に与えられた愛は順調な時だけのものでなく、パウロが迫害を受けて投獄された時も変わりませんでした。「あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人たち」とあります。(7)この世の愛とは違います。イエス様から与えられる愛は苦しみの中でも変わらずに与えれるものです。
神様の願いは、このイエス様の愛が僕らの中にもっと、知識も識別力も与えられてものごとを見分けていくことです。神様の前でゴミであり非難されるような余計な考えは今から捨てて、神様の心と僕らの心が一つになることは神様の栄光の現れです。
(9-11節)
私はこう祈っています。あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、
あなたがたが、大切なことを見分けることができますように。こうしてあなたがたが、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現されますように。
今日も神様が教会の仲間を喜んでくださっています。神様が一人一人のことを思い、喜んでおられます。その思いが僕らにも与えられ、これからも増えていきます。僕らは変えられ続けます。神様の心で互いに愛し、互いに喜ぶものにされ、純真なものになっていきます。
僕らも教会の仲間たち一人一人を思って喜び、感謝しましょう。イエス様が血を流すほどに愛し喜んでいる教会の仲間たちです。ハレルヤ!
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