ピリピ4.4-6
問題だらけの僕らです。感謝できない僕らです。だのに聖書は「いつも主にあって喜びなさい。」と言います。これは無理!って思いそうです。ところがパウロは「もう一度言います。喜びなさい。」と強調しています。(4)よく読むと「主にあって」喜びなさいです。
パウロだって傷つくし、悲しいし、病気にも悩んでいます。でもパウロは問題や病気を喜んでいるのではなく、イエス様を喜んでいることがわかります。別の訳は「主を喜びなさい」です。うまく行くことを喜ぶのでなく、人を喜ぶのでもなく、イエス様につながっていることの喜びです。愛されていて、近くにいてくれることの喜びです。しかも「いつも」です。どんな時もイエス様がすべてを支配しています。悪く見えることもイエス様が管理しています。僕らを無罪と宣言してくれて、愛する子どもと言ってくれています。苦しみを通っても将来は栄光だけが用意されています。このイエス様の愛の大きさ、高さ、広さ、深さを知れば知るほど僕らは安心し喜びます。
(4-5節)
4,いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
5,あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。
神様は耐えられないほどのことは決して起こしません。(1コリント10.13)また、神様はすべての出来事を僕らのために働かせてくれています。(ローマ8.28)神様は僕らの期待通りにする、とは言ってません。祈りに対する答え以上の平安を僕らに与えてくださる、と約束してくれています。願い通りにならなくても理屈を超えた平安が与えられます。どんなカウンセラーやセラピストも与えられない、神様だけが与える超自然的な平安です。だから思い煩わないで祈りなさい、と聖書は言います。
(6-7節)
6,何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
7,そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
問題だらけでも感謝し祈りましょう。願い通りにならなくても理解を超えた平安と喜びが与えられます。今日も愛され守られています。イエス様がすべてのことをご支配しています。小さいことも大きいことも、全部祈りましょう。神様は理解を超えています。大丈夫です。平安はあります。全てを知って支配しておられる神様を喜びましょう。ハレルヤ!
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