イザヤ56章
神様の住まいには、悲しみも叫びも苦しみもありません。僕らが神様に祈る時、それは喜びと平安に満ちた神様の世界とつながることです。地上では苦しみがありますが、平安と喜びと楽しみに満ちた天とつながるのが祈りや礼拝です。神様に聞き従う人はどんな人でも「わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。」と主は言われます。(7)神様との交わりは喜びと楽しみです。
この当時、子どもを産めなくされた「宦官」がいました。また、神様から見放された人々と言われ下に見られていた「異国の民」たちもいました。ところが、神様は彼らを喜び、神様の息子、娘の立場を与え、楽しませてくださいます。人から虐げられていても、神様の目にはどんな子どもよりも尊い存在です。
(3-7節)
3,主に連なる異国の民は言ってはならない。「主はきっと、私をその民から切り離される」と。宦官も言ってはならない。「ああ、私は枯れ木だ」と。
4,なぜなら、主がこう言われるからだ。「わたしの安息日を守り、わたしの喜ぶことを選び、わたしの契約を堅く保つ宦官たちには、
5,わたしの家、わたしの城壁の内で、息子、娘にもまさる記念の名を与え、絶えることのない永遠の名を与える。
6,また、主に連なって主に仕え、主の名を愛して、そのしもべとなった異国の民が、みな安息日を守ってこれを汚さず、わたしの契約を堅く保つなら、
7,わたしの聖なる山に来させて、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のささげ物やいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。なぜならわたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ。
この世で人から侮辱されていても、神様との交わりには喜びと楽しみが満ちています。だから「私をその民から切り離される」とか「ああ、私は枯れ木だ」と言ってはなりません。(3)神様の目には尊い、喜びの存在です。神様の近くに行く時、僕らは自分の尊さがわかります。そこには喜びしかないことがわかります。「満ち足りた喜びがあなたの御前にあり楽しみがあなたの右にとこしえにあります。」(詩篇16篇11節)
祈りに集中し、神様に集中する時間はどんな時間よりも楽しいものです。ディズニーランドに行くよりも、どんなおいしいものを食べるよりもです。神様の前に行くことは天と地がつながる体験です。今日も祈りの家で楽しませていただきましょう。ハレルヤ!
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