2024年12月6日金曜日

御霊が導く教会 使徒2章41-47

 御霊が導く教会 使徒2章41-47

今日の箇所は、2章の最初に聖霊が注がれ、それに満たされた人たちが喜んで集まり愛し合っていた最初の教会の様子です。


41,彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。

42,彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。


教えを守りなさいとか、集まりなさい、とか、交わりなさいとか、祈りなさいとか人に強制されてはないです。ただ、神様ご自身がそれを願っていて、イエス様を信じて聖霊を受けた人たちは、一緒に聖書を学び、祈りたい、と思いました。聖霊がそう願っておられるので、自然に、内側からその通りにする人たちでした。


2章42節は聖霊を受けた人の特徴です。

イエス様と同じように、僕らも聖霊によって兄弟姉妹を大事にしたい新しい心が与えられます。それが教会です。人が知恵を出し合い、努力して作るのではないです。仕組みとか組織も大事だけど、それは聖霊が与えてくださる愛と真実に基づいています。そして、僕らにも同じ聖霊がすでに与えられています。一緒に神様を賛美し、一緒に集まって互いの重荷を負って祈りたい、と思うようになっています。それが本来の人間としての姿だからです。


もし、人と関わるのはめんどくさい、と思うのであればそれは肉の思いです。一人ぼっちで愛し合う事はできません。一人ぼっち成長する事もありません。

私たちは、聖霊を受けて、だんだん人から隠れる必要もなく、神様からも隠れず、裏表なく、神様の家族を愛し喜ぶように作り変えられます。


反対に、御霊を追い出し肉の思いに支配されていると自分を隠します。エデンの園で、高ぶって神様から背いたときには、人間は神様の目を避けて隠れました。お互いからも自分を隠してイチジクの葉っぱで体の覆いを作りました。私たちが交わりを避けて、自分を隠そうとするのは罪の結果です。


イエスキリストによって私は赦されされました。私は無罪です。私は愛されています。そのように立場が変わった人は恐れなく神様の前にも人の前にも恐れなく出ることができます。聖霊によってそれがわかります。聖霊の愛、全き愛、神様の愛は私たちの恐れを締め出します。


1ヨハネ 4:18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。


聖霊に満たされた人々は毎日、宮で集まり、ペテロや使徒たちの説教を聞き、家に集まって食事をして祈って賛美していました。毎日です。宮は神殿の礼拝、家は小グループでの交わりです。繰り返しますが、そこにルールだから、とかやらなければならないと言うプレッシャーはなく、喜びと真心を持って集まって互いに愛し合い食べて、感謝して、賛美して、祈っていました。


46,そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし

47,神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。


「心を一つにして」は、自分の心でなく、イエス様の御霊の心です。

私たちに注がれている愛は人間的な友情ではありません。神の愛です。「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」ローマ5:5 


自分からは神様の愛は出てきません。神様の愛とは自己犠牲の愛です。相手のために、そして神様のために自分を失っていく愛です。神様と相手を愛するために、時間を使い、力を使い、お金を使います。受けるのではなく与えることに喜びがあるのが神様の愛です。そのために集まっていたのが、最初の教会の姿でした。


45,財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。


福音は、この神様の愛の表れの中で広がります。互いに犠牲を払って愛し合う事は誰の目にも、他の人から見てもうるわしく好意的なものでした。


47,神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。


神様を喜び、神様の家族を喜ぶと言う愛の交わりの中で神様ご自身がその愛の交わりの中に新しい人たちを加えて加えてくださいます。

この原則は、イエス様ご自身も言われていました。


ヨハネ 13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

ヨハネ 13:35 もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」


ヨハネ17

ヨハネ17:21,父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。



聖霊に満たされてキリストとつながって互いに愛し合って1つになっていくことは、この世が福音を知っていくことにつながります。

愛し合う事は伝道そのものです。信者になったら、急に奉仕しなさい、とかあれしなさい、これしなさい、と要求したり、もっとうこうでなければ、ああでなければ、と問題や課題を並べあうのは、間違いです。御霊は愛です。互いに愛し合うこれこそがこの世にこの世が神様を知っていく方法です。


教会に初めてきた人は大事に扱われます。でも、洗礼を受けるとあまり大事にされない、って不満を持つ人は多いようです。初めて教会に来た時以上に、ますます大事にされるように、また、何十年も教会生活をしている先輩たちは高齢者がますます愛され、尊敬され、大事にされる教会でありたいと思います。それが神様の願いだからです。


3 苦手な人を愛する方法


人間の愛なら、見返りを求めます。ところが、神様から与えられる愛は見返りがなくても大丈夫です。なぜなら神様が無限にそれを与え続けてくださるからです。人間から出た愛は感謝されなかったら損しだと思います。自分に対する態度や見返りで教会を評価します。

こんなにしてやってやったのに見返りがない、もう疲れた、というのが人間から出た肉の思いです。

神様だけが、見返りのいらない愛を聖霊によって与え続けてくださる方です。私たちにはできません。でも、無限の御霊によって愛が注がれ続けています。


44,信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、

45,財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。


人を愛することは自分を手放すことです。受けるより与える方が幸いです。財産を手放すと、自分のお金が減ります。これはまさにイエス様そのものの姿です。イエス様はすべてを手放しただけでなく、私たちを愛するために救うために自分の命さえも手放してくださいました。でも、与える人が幸いだとおっしゃいます。ギブアンドテイクではありません。与えっぱなしで大丈夫です。神様が無限に祝福してくださいます。受けるより与える方が幸いです。


御霊を求めましょう。必ず与えられます。最近教えられた本の抜粋を紹介します。

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「キリストとともに 祈りの学校」アンドリューマーレー著 いのちのことば社1981年 67-74ページ


「してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」

(ルカ11:13)


(…中略…)主は、賜物の中で最も重要であり、最も良いものは聖霊であること、この賜物の中に他のいっさいの賜物が含まれていることを教えておられます。聖霊は、御父の賜物の中で第一のものであり、御父が与えることを最もお喜びになるものです。ですから、聖霊こそ、私たちが第一に求めなければならない主要な賜物なのです。

 言うことのできないこの賜物の価値については、容易に理解できます。イエスは、御霊を、「父の約束」と言われました。 神が父であることが啓示された約束です。善良かつ賢明な父親が、この世において与えることのできる最良の贈物は、父親自身の心です。 父親が子供を教育する場合の大きな目的は、自分の子供に、自分の性質や性格を再現しようとするところにあります。もし、子供が自分の父親を知り、理解しようとするなら、また、成長してから、父親の願いと計画に従おうとするなら、更には、父親を喜び、父親に喜んでもらうことを最上のものとするなら、父親と一つ心、一つの精神を持たなければなりません。同じように、神が神の子に与える最高の賜物は御自身の御霊以外に考えられないのです。神は、御自身の御霊によって神として存在されます。御霊は神のいのちそのものです。神は御自身の御霊を、地上の子にお与えになります。 このことの意味を考えてほしいのです。

 (…中略…)使徒は私たちについてこう言います。「そして、あなたがたは子であるゆえに、神は『アバ父。』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。」 王は、王子の全教育課程を通して、王者の精神が喚起されることを求めます。天におられる私たちの父は、御自分のおられる聖い天の生活に向けて、御自身の子として私たちを教育しようとされます。そのために、私たちに御霊を与えようと心の底から思っておられるのです。イエスは御自身の血によって贖いを全うされた後、私たちのために神の御前に行かれました。その目的は、私たちのために聖霊を受け、聖霊を遣わしてくださるためです。 御父の御霊、また御子の御霊として、御父と御子のいのちと愛の全体が御霊のうちにあります。 その御霊が私たちのうちにくだって、私たちを引き上げ、神の交わりにあずからせてくださるのです。御霊は、御子を愛された御父の愛を私たちの心の中にまで注いでくださり、その中を歩むようにと教えてくださいます。 更に、御子の御霊として、御子がこの地上におられた時のように、子供のような自由さと献身と従順を私たちのうちに吹き込んでくださるのです。 御父が与えてくださる賜物の中に、これ以上高価ですばらしいものはありません。御父御自身の聖霊、御子の御霊の賜物だからです。

 この真理は、おのずから、神の第一の、主要な賜物こそ、あらゆる祈りの第一の、主要な目的とならなければならないということを示唆します。 霊的生活のあらゆる必要のうちで、これこそ唯一の必要なものなのです。 すべてのものはイエスのうちに満ち満ちています。私たちはその恵みと真理の満ち満ちたもののうちから受けて、恵みに恵みを加えられるのです。 (…中略…)私たちが聖霊の意のままにゆだね、聖霊の思いのままに私たちのうちに行っていただくなら、聖霊は私たちのうちにキリストのいのちを示してくださいます。絶えずキリストのいのちを私たちのうちに保ち続けてくださいます。私たちを御父の御座へ近づけ、そこにとどめる祈りがあるとすれば、それは次の祈りです。 私たちが子として受けた聖霊が私たちのうちに流れ込み、そしてまた、満ち満ちたかたちで私たちのうちから流れ出ますように。

 (…中略…)きょう、イエスの学校で、イエスが教えてくださる学課は次のことです。すなわち、御父は、私たちが、「あなたがたも••••••自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、 求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう」とのみことばを、子供のように信じて求めるなら、聖霊を与えようとしておられるのです。「わたしはわたしの霊をあふれるばかりに注ごう」という御約束と、「御霊に満たされなさい」という御命令の中に、神が私たちに与え、私たちが得ることのできるものの標準があります。私たちはすでに、神の子として御霊を受けています。しかし、更に御霊の賜物と働きを求めなければなりません。またそれのみでなく、一瞬一瞬御霊に導かれて歩めるように、また、御霊が私たちを完全に占領してくださるように求めるべきです。樹液をすでに十分に与えられている枝が、 完全な実を結ぶためになおいっそうの樹液の供給を求めるように、御霊を与えられている信者もなおいっそう与えられるように御霊を求めるべきです。 偉大なる教師であられる方が私たちに学ばせたいと願っておられることは、私たちの期待と祈りの標準が、神の約束と命令以下のものであってはならないということです。私たちは、あふれるばかりに満たしていただかなければなりません。「なおのこと」ということばに表された神の父としての愛が、 求める時に必ず与えられることの保証です。主は、私たちが、この保証にもとづいて求めることを望んでおられます。

 今、このことを信じようではありませんか。 御霊に満たされることを祈る時には、感情によって回答を求めることをやめましょう。霊的な祝福は、すべて信仰によって受け取らなければなりません。御父が、祈っている御自身の子に聖霊を与えてくださるということを信じたいと思います。今、祈っているこの時に、「私は自分が求めているものをすでに与えられています。御霊の満たしは自分のものとなっています」と、信仰によって言わなければなりません。この信仰をしっかりと持ち続けましょう。神のみことばの力によって、私たちは、求めるものをすでに得ているということが分ります。自分の祈りが聞かれたことを感謝し、自分が受け、今それを自分のものとして握っていることを感謝しましょう。すでに与えられた祝福、すでに信仰によって手にしている祝福が、自分の全存在を貫き、満たすように、しっかりとした信仰の祈りをささげ続けましょう。このように信仰の感謝と祈りをささげる時に、私たちのたましいは御霊に開かれ、全く、しかもゆるぎなく御霊のものとされるのです。私たちの祈りは、私たちが求めたり望んだりするだけでなく、自分のものとし、保持するような祈りとして完全な祝福を受け継ぐのです。祈る時には、いつでも、救い主がきょう私たちに教えようとされる教訓を心にとめるようにしましょう。この地上に確かなことが一つあるとすれば、それは、御父が私たちを御霊で満たしたいと望んでおられること、そして喜んで与えてくださることです。

 このように、自分で信じることと、毎日天にある宝を取り出すことを学ぶ時、私たちはどのような祈りの自由と力をもって、御霊が神の教会の上に、すべての人の上に、個々の人の上に注がれることを祈ることができるようになるでしょうか。祈りの中で御父を知ることを学んだ者は、大いなる確信をもって他の人のためにも祈ることを学びます。自分のためでなく、他の人のために求める時、御父はそれを最大限に与えてくださるのです。


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天の父よ。あなたは、御子をお遣わしになって、御自身と、御父としての愛と、その愛がもたらすすべてのものを私たちに啓示してくださいました。更に、あなたが与えてくださる賜物の中で最大のものが聖霊であることをお教えくださいました。

 ああ、私の父よ。私はみもとに行き、こう祈ります。私は聖霊に満たされること以外、何の願いも持ちません。御霊がもたらしてくださる祝福は、とうていことばに尽すことのできないものです。それがまさに求めているところのものです。御霊は、あなたの愛を私の心に注ぎ、あなた御自身で満たしてくださいます。私はこれを慕い求めます。御霊は私のうちに、キリストの思いといのちを吹き込んでくださいます。それは、私がキリストのように御父の愛の中に生き、また愛のために生きるようになるためです。私はこれを慕い求めます。御霊は、私の歩みと働きに必要な天からの力を与えてくださいます。 私はこれを慕い求めます。

 御父よ。私は、「なおのこと、聖霊を」と言われた主のみことばに信頼して、聖霊を求めます。あなたが私の祈りを聞いてくださることを信じます。私は今求めるものをいただけます。御父よ。私はそれを得たと宣言します。御霊の満たしは私のものとなりました。私はきょう、これを信仰の賜物としていただきました。御父が、約束されたことをすべて御霊によって成し遂げてくださることを、信仰によって認めます。御父は、待ち望む子たちに喜んで御霊を吹き込んでくださる方です。御父は、御霊との交わりを絶やさないお方だからです。アーメン。






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