2025年3月5日水曜日

ルカ10.1-9

 ルカ10.1-9


イエス様を信じた僕らは神様のものとなりました。イエス様が「あなたがたは世の者ではありません。わたしが世からあなたがたを選び出したのです」「彼らもこの世のものでないのです」とおっしゃいます。(ヨハネ15.19、17.16)もうこの世チームではなく、神様チームのメンバーです。そして、そこからこの世に遣わされています。この世は神様とは真逆で汚れていて危険です。まるで狼がたくさんいるような危険な世界です。イエス様は「世はあなたがたを憎むのです」(ヨハネ15.19)とおっしゃいます。



"さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に子羊を送り出すようなものです。"

ルカの福音書 10章3節



宣教師であってもなくても、僕らはこの世に遣わされています。僕らが今住んでいる家は神様から遣わされた場所です。職場も学校も友人の中も神様から遣わされている場所です。そこには闇があり危険があります。…が、僕らはイエス様から遣わされているので大丈夫です。イエス様は、まず、遣わされたその場所に神様からの平安があるよう祈りなさい、と言われました。



"どの家に入っても、まず、『この家に平安があるように』と言いなさい。

そこに平安の子がいたら、あなたがたの平安は、その人の上にとどまります。いなければ、その平安はあなたがたに返って来ます。"

ルカの福音書 10章5~6節



平安とは、神様に愛される祝福される平安です。また隣人を愛し、隣人に愛される平安です。まずはその場所に神様からの平安と愛と祝福と守りがあるようにお祈りするように言われました。平安を祈ることは良いことしかありません。もし、そこの人たちが神様からの平安を受け取るなら、僕らは神様の国について語り、彼らはそれを受け取ります。そこには祝福と喜びと光があります。逆に、祈ってもその人たちが受け入れず、そこに平安の人がいなければ、「その平安はあなたがたに返って来ます。」(6)だから平安を祈る事はどちらにしても良い事しかありません。今日も遣わされている自分の家、職場、学校、友人の祝福と平安を祈りましょう。


平安を祈る例は聖書にたくさんありますが、民数記6章の祈りは有名です。



"主があなたを祝福し、あなたを守られますように。

主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。

主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』"

民数記 6章24~26節



どこに行ってもその場所に平安があるように祈りましょう。そこに平安と祝福が与えらればよし、そうでなくても、その祈りと平安は自分に戻ってきます。ハレルヤ!



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