2025年3月4日火曜日

ルカ9.57-62

 ルカ9.57-62


僕らの心の中にイスがあるとしたら、イエス様は一番ボロいイスに座るようなお方じゃないです。僕らの心が家だとしたら、イエス様は物置に住むようなお方でもないです。イエス様は、一番いい部屋、一番いい席に座る王であり神様です。僕らだけでなく、世界の王であり、全ての人のいのちをを支配し、世界の全ての出来事を支配する権威ある方です。だからどんなに大事な家族や親であってもイエス様より上ではありません。1日のスケジュールがあるとしたら、イエス様の時間は最優先です。「そのうちね」「いけたらいくわ」これは低く見すぎています。ある人はイエス様から「わたしに従って来なさい」と言われましたが「まずは」「最初に」お父さんのお世話をさせてください、とお願いしました。



(59-60節)

59,イエスは別の人に、「わたしに従って来なさい」と言われた。しかし、その人は言った。「まず行って、父を葬ることをお許しください。」

60,イエスは彼に言われた。「死人たちに、彼ら自身の死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」



親を大事にするのは大事だけど、でも、親であっても神様より上ではありません。この人が言っているのは「親が今日死んでしまったので、葬儀を先に…」ではなく、「父が高齢なので、そのうち父が亡くなって時間ができたら従います。」という意味です。イエス様は、「あなたのお父さんをお世話する人も埋葬する人も他にもいる。私はあなたを呼んでいる。私についてきてほしい」とおっしゃっています。イエス様に従うことは自分にしかできないことです。お父さんの世話をし埋葬することは、神様の国について何も知らない人たちでもできることです。だから、「死人たちに、彼ら自身の死人たちを葬らせなさい。」と言われました。あなたの役目は「あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」(60)です。同じように 僕らも「今忙しいから、もうちょい落ち着いたらやるわ」と言いがちです。「仕事が一段落したら祈ろう」「まずは結婚して落ち着いてから考えよう」「これが終わったら聖書読もう」などなど「この世のことが優先」になりがちです。もちろん、家族や仕事や大事なことはたくさんあります。でも、それが神様より優先されるのは違います。イエス様が僕らを選んだのは最優先に従わせ、かしらと器官のように、まるでフルタイムの兵士のように用いるためです。「兵役についていながら、日常生活のことに掛かり合っている者はだれもありません。」(2テモテ2.4)僕らの生活をよく見てみると、キリストへの愛よりも大事にしてるものが必ずあります。「イエス様、従います」と口では言うけど、実際はあのこと、このことが気になってよそ見ばかりする人もいます。



(61-62)

61,また、別の人が言った。「主よ、あなたに従います。ただ、まず自分の家の者たちに、別れを告げることをお許しください。」

62,すると、イエスは彼に言われた。「鋤に手をかけてからうしろを見る者はだれも、神の国にふさわしくありません。」



従うつもりはあるけど、「イエス様、ちょっと最後にもう一回だけ見てきますわ」と今までの世界にいく人です。当時の農業は耕す時にはまっすぐ前を見て、向こうに見える木とか岩を基準にして進んだそうです。途中でよそ見をしたり振り向いたりするとガタガタな畑になったそうです。そのように「あっちもいいな… こっちも気になるな…」って迷ってる人にイエス様は「神の国にふさわしくありません。」とおっしゃいます。

この世の楽しみや罪を「やっぱ最後にもう一回…」ってなって、気づいたらお別れできずにズルズル続けている人もいます。罪から離れてイエス様に従うためには「ちょっと待って」とか「少しずつ…」とかでなく完全にお別れするしかありません。イエス様に従うことは、死んでお別れしたようなものです。自分を捨てて死んだ人はあのこと、このことが気になって右往左往することはありません。イエス様ははっきり言われました。



(ルカ9章23節)

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」



ある人は「あなたがどこに行かれても、私はついて行きます。」とやる気満々で言いました。(57)でも、イエス様は従うことはこの世で快適な生活をすることではない、とハッキリおっしゃいます。



(57-58)

57,彼らが道を進んで行くと、ある人がイエスに言った。「あなたがどこに行かれても、私はついて行きます。」

58,イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」



もしかするとこの人は「やっぱやめた」って思ったかもしれません。イエス様は「みんな集まれー!」って軽いノリで招いているのではありません。イエス様と一緒に「この世とお別れし、死ぬ人」が新しいいのちを得て永遠の御国のメンバーとなります。その人はイエス様に従うゆえの苦しみや貧しさもありますが、「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないもの」です。(ローマ8.18)


僕らが思う以上にイエス様に従うことはずっとずっと優先すべきだし価値があることです。今日も献身しましょう。イエス様優先でいきましょう。それはどんなことよりも栄光あることです。ハレルヤ!



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