2025年3月7日金曜日

ルカ10.38-42

 ルカ10.38-42


あなたの人生で最優先のことってなんですか?って聞いたら、いろんな答えがあると思います。クリスチャンに聞いてもいろいろだと思います。教会、家族、仕事、神様を愛すること、伝道、などなどです。イエス様の答えは明確です。イエス様の足元に座ってその言葉に聞くことは最優先事項だし、たった一つの必要なこと、とおっしゃいました。



"しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」"

ルカの福音書 10章42節



あれもこれもでなく、イエス様は「一つだけ」とおっしゃいました。旧約聖書のダビデも「ただ一つのこと」を求めました。それは主の美しさを見つめ、思いめぐらすことです。それがダビデの唯一の優先事項でした。



"一つのことを私は主に願った。それを私は求めている。私のいのちの日の限り主の家に住むことを。主の麗しさに目を注ぎその宮で思いを巡らすために。"

詩篇 27篇4節



推し活をしている人は推しの出演番組を見ることは最優先です。録画じゃダメです。放送時間に間に合うように仕事を切り上げて帰宅します。また、ライブに行くためなら全てのスケジュールは後回しです。ダビデはまるで主のライブに行くかのように、その美しさを見、その声を聞き、思い巡らせることが彼の最優先事項、そしてたった一つの願いでした。


新約聖書のパウロも、「ただ一つのこと」を願って身を伸ばし、手を伸ばしていると言っています。(ピリピ3.13)それはキリストを知っていくこと、そして、キリストと1つになって、苦しみにも参加し、復活して、キリストの姿に変えられていくことです。



"私は、キリストとその復活の力を知り、キリストの苦難にもあずかって、キリストの死と同じ状態になり、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。"

ピリピ人への手紙 3章10~11節



たった一つのことを優先すると、他の日常のことは全部ついてきます。イエス様は「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」とおっしゃいました。(マタイ6.33)逆に、神様を優先しなければ、何もかもがおかしくなってしまいます。

姉のマルタは神様抜き、イエス様抜きの「自分の」奉仕でイライラしていました。



"彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。

ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」"

ルカの福音書 10章39~40節



対照的にマリアはイエス様の足元に座ってイエスの言葉を聞いています。それをイエス様は「必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました」とおっしゃいます。(42)



イエス様の足元に座って聞いていると、イエス様は祈りについて教えてくれるし、神様の裁きとか迫害のことも、神様の国の素晴らしさも、聖霊についても、僕らの貪欲さとか逆に満足することとか、お金のこと、人に与える素晴らしさ、愛すること、教会が一致すること、謙遜さとか、逆に高ぶりとか、悔い改めの大切さとか、結婚や離婚、あらゆることを教えてくれます。


神様のみことばを直接聞けるってすごい特権です。忙しく「自分の」奉仕をしていたマルタはイエス様と敵対してはなかったし、イエス様を愛してたし、信じていました。でも、彼女は優先順位を間違ってました。

僕らの最優先事項は、神様のことばを聞くことです。それがすべての霊的な基盤です。それが命であり力です。それは喜びとなり、僕らを変えてくれます。

みことばを聞かず読まずに生きる人は、まるで食事も十分な睡眠もナシに動いている人のようです。疲れて心も体もおかしくなるのは当然です。


マルタは、たくさんの準備に気をとられていました。食事の準備をして、寝る場所を用意して、当時は水の手配も大変です。「とにかく全部ちゃんとしないと」と思っていたようです。そして彼女は一番大事なことから引き離されてしまいました。


旅人をもてなすのは悪いことではないけど、でも、彼女の奉仕は「自分の」正義感、「自分の」やり方、「自分の」優先順位でした。今、自宅に神様が来て、神様と直接交わり、語り合おうとしてくださってるのに、彼女は完全に無視です。「自分の」奉仕に必死です。イライラはついに爆発してイエス様に食ってかかります。



"ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」"

ルカの福音書 10章40節



「あなた、妹が何も手伝わないのは気にしないんですか!私だけにやらせて!」と怒り、イエス様に命令します。「いい加減にしてください!マリヤが私の手伝いをするようにちゃんと指導しなさい!」という雰囲気です。完全に狂っているのがよくわかります。


マルタを責める前に僕らは問われます。神様の言葉を後回しにして疲れ、イライラしているのは僕らの姿です。神様のことばを聞くことより大事なことなんてないし、比べられるものもありません。


もちろん、仕事も大事、家庭も大事です。この世界を楽しむこともプレゼントです。でも神のみことばを失うなら、全てを失います。イエス様はマルタにキレられてもマリアをキッチンに行かせませんでした。


赤ちゃんは母乳を吸うことが全てです。それなしにあやしてもダメです。赤ちゃんみたいに、まずは神様の霊的な乳であるみことばを求めなさいと聖書は言います。(第一ペテロ2.2) 神様のみことばによって希望が与えられ、喜びが与えられ、力が与えられ、成長が与えられます。この世界は見えるもので動いているのでなく、見えないけど力のある神様の言葉によって作られ動いています。(ヘブル11.3)今日も「必要なことは一つだけです」ハレルヤ!

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