2025年3月13日木曜日

ルカ12.13-21

 ルカ12.13-21


人間は1日に何千回も決断するそうです「あと5分寝ようかな?」「何食べようかな?」「服どっちにしよう?」「この返信は先ににするか?後でいいか?」「エレベーター待つ?階段使う?」などです。小さなことから大きな決心まで、すべてを正しくする方法があります。それは「どちらが神様のため?」です。言い換えると、「どちらが神様に喜ばれるか?」「どちらが神様と隣人を愛するか?」です。財産やお金の貯め方に関しても、「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。」とイエス様はおっしゃいます。



"そして人々に言われた。「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」"

ルカの福音書 12章15節



もしお金持ちになっても、神様のことを考えない貪欲と自己満足のためのお金なら神様の前では全く価値がありません。イエスは具体例を話されました。



"それからイエスは人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。

彼は心の中で考えた。『どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。』

そして言った。『こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、私の穀物や財産はすべてそこにしまっておこう。

そして、自分のたましいにこう言おう。「わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」』

しかし、神は彼に言われた。『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。」"

ルカの福音書 12章16-21節



このお金持ちは地上の快楽しか考えなかったようです。反対に、お金を使ったり失ったりすることが神様のためなら、実は失っていないし、むしろ何百倍の報いを受けることになります。たとえ全てを失ったとしてもです。神様を愛することは失われない本当の富であり財産です。イエス様は言われます。



"自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。

自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。"

マタイの福音書 6章19~20節



神様のために犠牲を払って何かを失った人はむしろ100倍の報いを受けると聖書は言います。



"また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子ども、畑を捨てた者はみな、その百倍を受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。"

マタイの福音書 19章29節



パウロは名声も権威も持っていた人です。でも「自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。」と言っています。(ピリピ3.7)イエス様のために生きる方がずっと価値があるからです。イエス様のために人からの評価や名誉や承認されることを失うこともあります。憎まれたり罵られることもあるかもしれません。それでもその苦しみや喪失は天では大きな報いがあります。



"人々があなたがたを憎むとき、人の子のゆえに排除し、ののしり、あなたがたの名を悪しざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。

その日には躍り上がって喜びなさい。見なさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。彼らの先祖たちも、預言者たちに同じことをしたのです。"

ルカの福音書 6章22~23節



地上のものにしがみつくより、神様のために犠牲を払うことの方がずっと価値のあります。それは思うよりずっと大きな報いにつながります。天の喜び、天の財産です。今日も小さな判断の一つ一つを自分に聞いてみましょう。それは神様のためなのか、それとも自分のためなのか、永遠に価値のあることのためなのか、それとも地上で滅んでいくむなしいことなのか、と。



"自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。」"

ルカの福音書 12章21節




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