ルカ15.24-32
神様が与えたいと思っておられるものは、想像するよりずっと大きいようです。
クリスチャンは、神様の子ども(ヨハネ1.12、ローマ8.14、ガラテヤ3.26)とか、神様の相続人となる(ローマ8.17、ガラテヤ4.7、1コリント3.21-23)とか、祝福をを受け継ぐ(1ペテロ3.9、ヘブル6.12、ガラテヤ3.29)とか聖書に書かれています。僕らの思いを遥かに超えていて、しかも本気です。お父さんの財産を使い果たして帰って来た弟さえも受け入れて喜び、良いものを与えています。そんなお父さんに真面目に仕えてきた兄息子は怒ります。
"すると兄は怒って、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て彼をなだめた。
しかし、兄は父に答えた。『ご覧ください。長年の間、私はお父さんにお仕えし、あなたの戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しむようにと、子やぎ一匹下さったこともありません。それなのに、遊女と一緒にお父さんの財産を食いつぶした息子が帰って来ると、そんな息子のために肥えた子牛を屠られるとは。』"
ルカの福音書 15章28~30節
兄息子はどうせお父さんは良くしてくれない、と誤解していたようです。「友達とのパーティーもどうせダメなんでしょ」「そんなことには応援してくれないんでしょ」と思ってました。ところが、お父さんの答えは「子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。」です。(31)
放蕩息子も愛され、真面目な兄息子も愛されています。2人に同じように与えたいと願っておられる神様です。「父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。」(マタイの福音書 5章45節)
一生懸命やってるから何かくださいよ、と取引する必要はありません。熱心さで愛を手に入れようとする必要もありません。最初から愛されています。良いものを与え、祝福し喜んでおられます。神様のものは、全部僕らのものです。凄すぎます。信じる人は安心して恐れなく求めます。信じない人は「どうせダメなんでしょ」といじけまるか、神様に認められようとして頑張ってアピールしたり、反対にあきらめたりします。タダで喜ばれている人を見ては妬み、比較し、怒ります。僕らは神様を誤解しているようです。神様は僕らが思う以上に与えたい、喜びたい、祝福したいと待っておられるかのようです。行いによらず、ただ、めぐみと愛です。今日も「私のものは全部おまえのものだ。」です。感謝しましょう。安心して従い、求め、神様の喜びを体験しましょう。ハレルヤ!
0 件のコメント:
コメントを投稿