レビ25.1-24
生活の中で神様を優先し、隣人を優先すると、「仕事に支障が出る…」とか「思ったのと違う…」という場面があると思います。それでも神様は言われます。
"あなたがたはわたしの掟を行い、わたしの定めを守らなければならない。それを行うなら、その地に安らかに住むことができる。
地は実りをもたらし、あなたがたは満ち足りるまで食べ、安らかにそこに住むことができる。"
レビ記 25章18~19節
イエス様も「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」とおっしゃいます。(マタイ6.33)収穫は神様によることを教えるために、神様はイスラエルに7年目には種をまいてはならないし、収穫もしてはならないと言われました。
"「イスラエルの子らに告げよ。わたしが与えようとしている地にあなたがたが入ったとき、その地は主の安息を守らなければならない。
六年間はあなたの畑に種を蒔き、六年間ぶどう畑の刈り込みをして収穫をする。
七年目は地の全き休みのための安息、主の安息となる。あなたの畑に種を蒔いたり、ぶどう畑の刈り込みをしたりしてはならない。
あなたの落ち穂から生えたものを刈り入れてはならない。あなたが手入れをしなかったぶどうの木のぶどうも集めてはならない。これは地のための全き休みの年である。"
レビ記 25章2~5節
6年間は畑に種まいてOKだし、ブドウ畑を剪定して実を収穫してもOKです。でも7年目は、畑に種まいちゃダメだし、ブドウ畑の収穫もダメです。自然に生えてきたものも、そのままにしておきます。
一切仕事をしないでどうやって生活するの?と僕らは思います。これは、イスラエルの人たちに本気で神様を信頼するように求める話です。6年の間に十分な収穫を与えてくれて、7年目の休みの間もちゃんと生きていけるようにしてくださる神様を信頼するための教えです。もちろん心配はあります。神様はその心配を代弁してくださいます。
"あなたがたは、『もし私たちが種を蒔かず、また収穫もしないなら、七年目には何を食べればよいのか』と言うであろうが、
わたしは六年目に、あなたがたのためにわたしの祝福を命じ、三年分の収穫を生じさせる。
あなたがたが八年目に種を蒔くときにも、前の収穫をなお食べている。九年目まで、その収穫があるまで、なお前のものを食べることができる。"
レビ記 25章20~22節
七年目の収穫はあらかじめくださいます。しかも三年分です。次の収穫が与えられるまで足りるから大丈夫です。しかも豊かに与えてくださいます。「地は実りをもたらし、あなたがたは満ち足りるまで食べ、安らかにそこに住むことができる。」(19)これは、土地も収穫も自分たちのものじゃなくて神様のものだ、と証明するための安息年です。
心配しがちな僕らは一度手を置いて神様の恵みを数え、それに浸る期間が必要です。
頑張らなきゃ、と思っている時こそ静まる必要があります。心配で動きたくなる時こそ、立ち返って静かに神様を覚える必要があります。
神様はもっともっと良いものを与えてくださいます。
イスラエルでは50年に一度、土地は最初の所有者に戻りました。土地はいわば“リース”みたいなものです。所有者は神様です。「土地はわたしのものである」と言われます。(23)同じように僕らの体も能力も環境も神様のものです。僕らはそれらを預かっているだけです。
神様のために、自分の仕事を休むことは素晴らしい結果を生むようです。
神の国を一番に求めるなら、生活に必要なものはちゃんと全部与えられます(マタイ6:33)今日も神様を優先しましょう。隣人を愛しましょう、そのために自分のプランが狂っても大丈夫です。もっと素晴らしい祝福が用意されています!