レビ21章 レビ記って障がい者差別?離婚者差別?
神様の国に「死」とか「淫らなこと」とか「離婚の悲しみやキズ」とか「体の欠陥」はありません。
そのような聖なる完璧な神の国の「写し」のように、地上での聖なる場所が「会見の天幕」です。天の国が本店なら地上の支店のような場所です。そこで奉仕する祭司たちも、天国には存在しないはずの罪や汚れや死や体の欠点から離れた聖なる人でなければなりませんでした。
"この祭司たちは、天にあるものの写しと影に仕えています。
ヘブル人への手紙 8章5節
祭司はたとえ家族が死んでも死体に触れたり、悲しみのあまり自分の体に傷をつけるような、神様の国にふさわしくない表現は禁止されていました。
"主はモーセに言われた。「アロンの子である祭司たちに言え。彼らに言え。親族のうちの死人によって自分の身を汚してはならない。
ただし近親の者、すなわち、母や父、息子や娘、兄弟の場合は例外である。
また近親の、結婚したことがない処女である姉妹の場合は、彼女によって自分の身を汚してもよい。
一族の中で主人が自分の身を汚し、自分を冒瀆することになってはならない。
頭を剃ってはならない。ひげの両隅を切り落としてもいけない。からだにいかなる傷もつけてはならない。
彼らは自分の神に対して聖でなければならない。また自分の神の名を汚してはならない。彼らは、主への食物のささげ物、すなわち彼らの神のパンを献げるからである。彼らは聖でなければならない。"
レビ記 21章1~6節
"いかなる死人のところにも入って行ってはならない。自分の父のためにも母のためにも自分の身を汚してはならない。
聖所から出て行って神の聖所を冒してはならない。神の注ぎの油による記章を身に着けているからである。わたしは主である。"
レビ記 21章11~12節
神の国は死も、淫らなことも、離婚の悲しみもない世界です。だからそこで奉仕する祭司も淫らな人や離婚経験者と結婚してはならないルールがあります。天の国のような場所で奉仕しているからです。
"彼らは淫行で汚れている女を妻としてはならない。また夫から離縁された女を妻としてはならない。祭司は神に対して聖だからである。
あなたは彼を聖別しなければならない。彼はあなたの神のパンを献げるからである。彼はあなたにとって聖でなければならない。あなたがたを聖別する主であるわたしが聖だからである。
祭司の娘が淫行で身を汚すなら、その父を汚すことになる。その女は火で焼かれなければならない。"
レビ記 21章7~9節
"彼は処女である女を妻としなければならない。
やもめ、離縁された女、あるいは淫行で汚れている女、これらを妻としてはならない。彼はただ、自分の民の中から処女を妻としなければならない。
一族のうちで子孫を汚すことのないようにするためである。わたしは彼を聖別する主だからである。」"
レビ記 21章13~15節
さらに、神の国には体の欠陥や障害はありません。すべての人が完璧な体が与えられています。なので、障がいのある人は祭司になれません。僕らはこれを読んで、ん?差別的?と思います。ところが欠点と汚れがある人にとってはむしろ朗報、喜びです。神様の国では僕らも完璧な身体、罪のない体、淫らな心のない美しい人に変えられるからです。
"だれでも、身に欠陥のある者は近づいてはならない。目の見えない者、足の萎えた者、あるいは手足が短すぎたり長すぎたりしている者、
足や手の折れた者、
背の曲がった者、背のきわめて低い者、目に濁りのある者、湿疹のある者、かさぶたのある者、睾丸のつぶれた者などである。
祭司アロンの子孫のうち、身に欠陥のある者はだれも、主への食物のささげ物を献げようと近寄ってはならない。彼の身には欠陥があるから、神のパンを献げるために近寄ってはならない。
しかし神のパンは、最も聖なるものであっても、聖なるものであっても食べることが許される。
ただし、垂れ幕のところに行ってはならない。祭壇に近寄ってはならない。身に欠陥があるからである。彼はわたしの聖所を汚してはならない。わたしがそれらを聖別する主だからである。」
モーセはこのことを、アロンとその子らとすべてのイスラエルの子らに告げた。"
レビ記 21章18~24節
神の国ではあらゆる悲しみ、死、淫らなこと、離婚の傷、障がい、全てが過去のものとなり、きよめられ、全く新しくされて神様の国に迎え入れられます。
"キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。"
ピリピ人への手紙 3章21節
神の国ではすべての傷や欠点や汚れがなくなります。
イエス様はこの神の国を表すために、病を癒し、悪霊を追い出し、死人を甦らせ、罪人を赦してくださいました。そして、特に病気の人、欠陥のある人、淫らな売春婦をご自分の近くに招いてくださいます。これは神様の国の回復することを表すためです。「神の国ではこういうことが当たり前になります」という、未来の完全な国の先取りです。
どんな人でもあの十字架の血によって完全な人、聖なる人に変えられます。
それでイエス様は障がい者を差別するどころか、むしろ積極的に招いています。
"すると大勢の群衆が、足の不自由な人たち、目の見えない人たち、手足の曲がった人たち、口のきけない人たち、そのほか多くの人をみもとに連れて来て、イエスの足もとに置いたので、イエスは彼らを癒やされた。
群衆は、口のきけない人たちがものを言い、手足の曲がった人たちが治り、足の不自由な人たちが歩き、目の見えない人たちが見えるようになるのを見て驚いた。そしてイスラエルの神をあがめた。"
マタイの福音書 15章30~31節
また、イエス様は淫らな女を積極的に招いておられます。あるサマリアの女は夫が5人もいて、今一緒に住んでる人も夫じゃありませんでした。(ヨハネの福音書 4章)離婚や不道徳な関係を何度も経験してる女性をイエス様は招いておられます。泣いてイエスの足を洗った女も「罪深い女」と紹介されていて、おそらく売春婦でした。(ルカの福音書 7:36–50)
イエス様は欠点や汚れを避けるのではなくて、むしろ汚れた人を招き、きよめ、完璧に作り替えてくださる方です。神様の国に「死」とか「淫らなこと」とか「離婚の悲しみやキズ」とか「体の欠陥」はありません。
僕らは変えられます。もう変えられ途中です。感謝しましょう。ハレルヤ!
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