2025年6月12日木曜日

1列王7.1-12

 1列王7.1-12


旧約聖書で意味のわからないところは新約聖書がどう言っているか探すに限ります。「聖書で聖書を読む」とか、「聖書が聖書を解説する」と言われる通りです。特にイエス様がどうおっしゃってるか探すのは楽しいです。もしわからないならそのままでオッケーです。「隠されていることは、私たちの神、主のもの」です。(申命記29章29節)

さて、ソロモンは自分の宮殿をめちゃくちゃ豪華に作ります。「これって神様、どういうこと?」と思います。聖書は結構な量でその豪華さを書いています。



"また、ソロモンは十三年をかけて自分の宮殿を建て、その宮殿のすべてを完成させた。

彼は「レバノンの森の宮殿」を建てた。その長さは百キュビト、幅は五十キュビト、高さは三十キュビトで、それは四列の杉材の柱の上にあり、その柱の上には杉材の梁があった。

また、四十五本の柱の上にある階段式脇間の屋根は、杉材で葺かれていた。柱は一列に十五本ずつあった。

戸口は三列あり、三段になって向かい合っていた。

戸口の扉と戸口の柱はすべて四角形で、三段になって向かい合っていた。

また彼は、柱の広間を造った。その長さは五十キュビト、その幅は三十キュビトであった。その前に玄関があり、その前に柱とひさしがあった。"

列王記 第一 7章1~6節



大きさは、神殿よりもずっと大きく、さらに王座や住居スペースも広間も神殿以上に豪華に作られています。聖書は丁寧にソロモンの豪華さ、大きさ、美しさを僕らに伝えています。これを伝えるのはどうして?と思います。



"また、さばきをするための王座の広間、すなわち、さばきの広間を造り、床の隅々から天井まで杉材を張り詰めた。

彼の住む家はその広間のうしろの庭にあり、同じ造りであった。ソロモンは、彼が妻としたファラオの娘のためにも、この広間と同じような家を建てた。

これらはすべて内側も外側も、のこぎりで寸法どおりに切りそろえられた、高価な石で造られていた。礎から軒に至るまで、さらに外庭から大庭に至るまで、そうであった。

礎は高価な石、大きな石で、八キュビトも十キュビトもあった。

その上には、寸法どおりに切りそろえられた高価な石と杉材が使われた。

大庭の周囲には、三段の切り石と一段の杉の角材が使われ、主の宮の内庭や、神殿の玄関広間と同じであった。"

列王記 第一 7章7~12節



さらに10章になると、その王座がどれほど凄かったか、食器類がどんなに高価なものだったか書かれています。「銀は、ソロモンの時代には価値あるものとは見なされていなかった。」とあります。(10.21)



"王は大きな象牙の王座を作り、これに純粋な金をかぶせた。

王座には六つの段があり、その王座の背の上部は丸かった。座席の両側に肘掛けがあり、その肘掛けのわきには二頭の雄獅子が立っていた。

また、十二頭の雄獅子が六つの段の両側に立っていた。このような物は、どこの王国でも作られたことがなかった。

ソロモン王が飲み物に用いる器はすべて金であった。「レバノンの森の宮殿」にあった器もすべて純金で、銀の物はなかった。銀は、ソロモンの時代には価値あるものとは見なされていなかった。"

列王記 第一 10章18~21節



この富と栄光は神様からのものでした。神様は彼に言われました。「あなたより前に、あなたのような者はなく、あなたの後に、あなたのような者は起こらない。そのうえ、あなたが願わなかったもの、富と誉れもあなたに与える。」(列王記 第一 3章12~13節)



最高の栄光と富を手にしたソロモンについてイエス様はおっしゃいます。「しかし見なさい。ここにソロモンにまさるものがあります。」(マタイ12.42)ソロモンもすごいけど、イエス様はもっとすごいです。栄光と富を無限に持ち、それを人に預けてくださるのはイエス様です。



"しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。

今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。

ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。"

マタイの福音書 6章29~31節



ソロモンの栄光よりも美しいのは野の花です。そして、僕らに対してはもっと良くしてくださる神様です。だから心配しなくて大丈夫です。僕らにとって大事なのは富ではなく、富を預けてくださる神様です。ソロモンはこの富と栄光をくださる神様への感謝を忘れ、高ぶりはじめ、やがて偶像を拝む老人になってしまいます。(11章)富は悪いものじゃないけど、持ちすぎると神様から離れやすく危険です。



"貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養ってください。

私が満腹してあなたを否み、「主とはだれだ」と言わないように。また、私が貧しくなって盗みをし、私の神の御名を汚すことのないように。"

箴言 30章8~9節



"金銭を愛する生活をせずに、今持っているもので満足しなさい。主ご自身が「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われたからです。"

ヘブル人への手紙 13章5節



富と知恵のすべては、神様からの預かり物です。僕らに与えられているものも同じく、全て神様ものです。「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」(ローマ人への手紙 11章36節)今日も栄光を主に捧げましょう。与えられている富も知恵も主のために使いましょう。すべては神様から出て神様に至るのです。ハレルヤ!






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