死にたい人へ
あなたが死にたい理由だけど、自分の存在がいらないと思ってるし、誰にも必要とされていると思わないし、自分でも自分が嫌いだし、クズだと思ってるし、たくさんの理由があると思います。生きるのが苦しすぎるのかもしれないです。
僕は聖書が神様からのことばだと信じています。
だから、神様からのメッセージを伝えることができたら、と思っています。
この文を神様が用いてくださいますように
聖書の中には、神様から離れてしまって、自分が愛されていることも、価値があることもわからなくなってしまった人の様子が書かれています。神様から離れると人間らしさを失って獣のようになっちゃいます。どうしても、自分を傷つけ、他人を傷つけ、絶望してしまいます。肉欲のまま、本能のままに傷つけあう姿が聖書に書かれています。
(ローマ人への手紙1章24-31節)
そこで神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡されました。そのため、彼らは互いに自分たちのからだを辱めています。…神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。…男が男と恥ずべきことを行い、その誤りに対する当然の報いをその身に受けています。…彼らは、あらゆる不義、悪、貪欲、悪意に満ち、ねたみ、殺意、争い、欺き、悪巧みにまみれています。また彼らは陰口を言い、人を中傷し、神を憎み、人を侮り、高ぶり、大言壮語し、悪事を企み、親に逆らい、浅はかで、不誠実で、情け知らずで、無慈悲です。
もしも、幸せな時間があったとしても満足は一時的で、すぐに虚しくなると聖書は言います。
(伝道者の書 1章2~3節)
"空の空。(なんという空しさ)伝道者は言う。空の空。すべては空。
日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になるだろうか。"
どんな快楽も、笑いも、恋愛もくだらないものに見えてしまいます。夢中になってもひとときだけです。生きる意味がわからなくなってしまいます。
(伝道者の書 2章1節)
「さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい。」しかし、これもまた、なんと空しいことか。笑いか。私は言う。それは狂気だ。快楽か。それがいったい何だろう。
人間は本来、神様と一緒に生きるように作られています。だから神様から離れると本能とか欲に振り回されて傷つけられ、相手も傷つけ、自分で自分のことも傷つけ、死ぬことしか見えなくなってしまいます。
「罪」って、「ヤバいこと」というよりも、神様から切り離された状態のことです。神様は愛だし光だし命だし平安そのものだしその源なので、神様から離れると愛も光もいのちも平安もなくなり暗闇の世界に落ちてしまいます。それを聖書は「罪の報酬は死です。」と言います。(ローマ人への手紙 6:23)でも、この続きがあって、「しかし、神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」つまり、神様につながると、自分らしさとか、人間としての尊さが、愛が、光が、平安がちゃんと戻ってきます。
神様は死んでほしくないとすごく思ってます。その理由が聖書に書いてあります。
もともと人間は神様に愛される存在として作られています。神様はあなたを子どもとして喜び、愛していると書かれています。しかも、立派な人になったら、ではなくて、欠点や失敗があるままで僕らを愛してくれてます。そう書かれている箇所、たくさんあります。
(ローマ人への手紙 5:8)
「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことにより、神は私たちに対するご自身の愛を示されました。」
あなたがどんなにひどい人でも愛しています。そんなひどい人間は放っておいてもいいはずなのに、神様は地上に降りてきました。赤ちゃんとして生まれ、人間の苦しみを全部経験し、最後は神様の怒りと呪いを身代わりに受けて死んでくれました。それがイエス様です。
神様から離れた人間がどんなに孤独で苦しいか、光も愛もない死の世界がどんなに辛いかイエス様は知っています。イエス様はあなたのすべての苦しみと絶望を経験するために、弟子たちに裏切られ、神にも捨てられて、十字架で処刑されました。それはあなたの苦しみを共有し、理解し、身代わりになって神の呪いを受け、あなたを理解し、愛し、救うためです。イエス様は復活して今も生きています。イエス様を信じることは、神様に戻ることと同じです。神様に戻ることは、本来の人間らしく神様に愛され、守られ、喜ばれる子どもとなることです。
(イザヤ書 43:4)
「わたしの目には、あなたは高価で尊く、わたしはあなたを愛している。」
いい人とか、悪い人とかじゃなくて、神様にとってはあなたの存在そのものが大事です。
(エゼキエル書 18章32節)
「わたしはだれの死も喜ばない。──神である主のことば──だから、立ち返って、生きよ。」
「死んでほしくない。だから戻ってきて。生きて」というのが、神様の願いです。
もし、ほんとに「神様、信じます、戻ります」て祈ったときに、この世界ではありえなかった光とか喜びとか愛とかが心の内側に注がれます。
(エゼキエル書 33章11節)
『わたしは生きている。──神である主のことば──わたしは悪しき者が死ぬのを決して喜ばない。
悪しき者がその道から立ち返って、生きることを喜ぶ。
立ち返れ。悪しき道から立ち返れ。イスラエルの家よ、なぜ死のうとするのか。』
「神様、ほんとに神様がいるんだったら、希望と喜びと愛をください。自分の存在価値を教えてください」って祈ったら本当に与えられます。
イエス様は「わたしは世の光です」って言っています。どんなに絶望してても、イエス様に求めたときに光は与えられます。「神は愛です。」神様だけが本当の愛です。神様に繋ることは愛とつながることです。「わたしはあなたがたに平安を与えます。」イエス様につながると、不思議な安心感が心の内側から流れてきます。
神様から離れた人はみんな「心の飢え」「闇」「不安」「孤独」があります。光みたいなものを探して、それにすがろうとしています。恋人だったりお金だったり業績だったり人から承認される何かかもしれませんが、でもそれははかなくて、すぐに消えてしまいます。イエス様はこの世が与える光や平安とは違います。イエス様は絶対になくならない光です。
絶望して死んでいくことは、あなたより先にイエス様がすでにやってくれました。
死ぬことは解決にならないです。その先に神様の裁きがあるからです。
解決はイエス様を信じることです。なぜなら、イエス様があなたより先に絶望して死ぬ役目をやってくれたからです。あなたより先に神様に裁かれ呪われることも、人からも捨てられることも全部先にやって、終えてくれたからです。イエス様は全部先に終えて、復活しています。今、生きています。そして、あなたを招いています。
イエス様を信じることは、新しい人生になることです。今のあなたは本来のあなたではないです。神様から離れて絶望しているのは本当の姿ではないです。本当のあなたは、神様に愛され、喜ばれる子どもです。
イエス様を信じることは、今まで知らなかった天からのいのちや光や愛とつながる新しい人生が始まることです。ぜひ、祈ってください。
「イエス様、自分は神様から離れて絶望しています。助けてください。イエス様を信じます。自分より先に絶望も死も呪いも孤独も全部経験し、自分を赦し、受け入れ、愛してくれることを信じます。新しい人生にしてくれると信じます。」
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