エレミヤ48.26-47
人を見下したり、さばいたり、笑ったりするとブーメランのように自分に返ってきます。そうイエス様はおっしゃいます。
"さばいてはいけません。自分がさばかれないためです。
あなたがたは、自分がさばく、そのさばきでさばかれ、自分が量るその秤で量り与えられるのです。"
マタイの福音書 7章1~2節
イスラエルが神様を怒らせ、裁かれて苦しんだのは事実です。でも、それを見て「あいつら、神の裁きに合ってるwww」と笑ったモアブにも同じように神の怒りが降ります。
"彼を酔わせよ。主に対して高ぶったからだ。モアブは、へどを吐き、彼も笑いものとなる。
イスラエルは、おまえにとって笑いものではなかったのか。それとも、おまえが彼のことを語るたびに彼に向かって頭を振っていたのは、彼が盗人の間に見つけられたためか。"
エレミヤ書 48章26~27節
この当時の「頭を振る」しぐさは、馬鹿にして笑うしぐさです。
"われわれはモアブの高ぶりを、──彼は実に高ぶる者──その傲慢、その高ぶりを、その誇り、その慢心を聞いた。
わたしは彼の不遜さを知っている。──主のことば──その自慢話は正しくない。その行いも正しくない。"
エレミヤ書 48章29~30節
神様の怒りと裁きはあるけど、それは悲しみ恐れるべきことであって、笑ったり楽しんだりするものではありません。神様ご自身も預言者もモアブへの裁きを嘆いています
"それゆえ、わたしはモアブのために泣き叫び、モアブ全体のために叫ぶ。人々はキル・ヘレスの人々のために嘆く。
シブマのぶどうの木よ。わたしはヤゼルの涙にまさり、おまえのために泣く。おまえのつるは伸びて海を越えた。ヤゼルの海に達した。そして、おまえの夏の果物とぶどうの収穫を、荒らす者が襲った。"
エレミヤ書 48章31~32節
"それゆえ、わたしの心は、モアブのために笛のように鳴る。わたしの心は、キル・ヘレスの人々のために笛のように鳴る。彼らの得た富も消え失せたからだ。"
エレミヤ書 48章36節
この笛の音は嘆きと悲しみの音色です。モアブは神の怒りで裁かれるけど、神様は正しく裁かれる方であるけど、敵が倒れるときに喜んではならない、と聖書は教えます。
"あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。彼がつまずくとき、心躍らせてはならない。"
箴言 24章17節
神様は悪人の滅びを喜ばず、泣き、罪人が悔い改めて立ち返ることを願っておられるお方です。もし僕らが他人の罪を見つけ裁くなら、自分にはもっと大きな罪があります。(マタイ7.3-4)そんな僕らが裁かれないのは、ただイエス様の十字架の死刑による憐れみゆえです。
他人が罪ゆえに苦しんでいるなら、イエス様と一緒に祈り、謝りましょう。見下している場合ではありません。苦しんでいる彼は自分の姿でもあります。
モアブは苦しむけど回復します。「しかし終わりの日に、わたしはモアブを回復させる。──主のことば。」(47)神様の願いは滅ぼすことではなくて、彼らが悔い改めて回復することです。ハレルヤ!
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