民数記10.1-10
聖書で楽器が演奏されるシーンを調べてみると、どれも明らかに「神様はここにいる」ことを表しています。簡単に挙げてみると…
●神様がシナイ山の上で十戒を授けられた時も角笛が鳴り響いていました。(出エジプト19.16)
●エリコの城壁が崩れ落ちた時も祭司たちは角笛を鳴り響かせました。(ヨシュア6.19)
●サウル王が悪い霊に苦しめられた時にも癒しのためにダビデは竪琴を弾きました。(1サムエル16.14-23)
●ヨシュアは預言する時に竪琴奏者を呼びました。(2列王3.15)
楽器の音を出す人はいつも「神様がここにおられる」ことを意識して「神様と一緒に音を出す人です。
民数記では神様がラッパを作るように命じ、その音によって、「神様がここにいる」ことを200万人もいるイスラエルの人たちに伝えるように言われます。
まず、ラッパの音は、神様が「わたしの所に集まりなさい」とおっしゃることを伝えます。
"主はモーセにこう告げられた。
「銀のラッパを二本作りなさい。それを打ち物作りとしなさい。あなたはそれを用いて会衆を召し出したり、宿営を出発させたりしなければならない。
これらが長く吹き鳴らされると、全会衆が会見の天幕の入り口の、あなたのところに集まる。
もしその一つが吹き鳴らされると、イスラエルの分団のかしらである族長たちがあなたのところに集まる。"
民数記 10章1~4節
また、全員が次の場所に出発するときにもラッパで合図をします。まるで神様が「私の後をついて出発しなさい」と伝えるかのようです。まず、神様の雲の柱が動きます。そして祭司はそれに合わせて音を出します。
"また、短く吹き鳴らすと、東側に宿っている宿営が出発する。
二度目に短く吹き鳴らすと、南側に宿っている宿営が出発する。彼らが出発するためには、短く吹き鳴らさなければならない。"
民数記 10章5~6節
敵が攻撃きたときには「わたしと一緒に戦いなさい。わたしが救う」と伝えるかのようにラッパを鳴らします。音は神様が一緒にいて下さることの証です。そうすると「主の前に覚えられ、敵から救われる」とおっしゃいます。
"また、あなたがたの地で、自分たちを襲う侵略者との戦いに出るときには、ラッパを短く大きく吹き鳴らす。あなたがたが、自分たちの神、主の前に覚えられ、敵から救われるためである。"
民数記 10章9節
ラッパを吹く人は祭司です。音楽家ではありません。彼らはいつも神様の心を求め、神様と1つになることを求める奉仕者です。雲の柱が動くときにはいち早くそれを知り、神様の願いを思いながらラッパを吹きます。戦いの時は「神様が一緒に戦ってくださる。救ってくださる」と思いながらラッパを吹きます。人々を集めるときにも「神様が呼んでおられる」と思いながらです。
"祭司であるアロンの子らがラッパを吹かなければならない。これはあなたがたにとって、代々にわたる永遠の掟である。"
民数記 10章8節
そして、神様にささげものをする時も「神様がここにおられ、このささげものを覚えておられる」と思いながらラッパを吹きます。そしてそれは真実です。
"また、あなたがたの喜びの日、あなたがたの例祭と新月の日に、自分たちの全焼のささげ物と交わりのいけにえの上にラッパを吹き鳴らすなら、あなたがたは自分たちの神の前に覚えられる。わたしはあなたがたの神、主である。」"
民数記 10章10節
礼拝の時にラッパを吹くことで、本当に神様の臨在が明らかになった実例は他にもあります。
"ラッパを吹き鳴らす者たち、歌い手たちが、まるで一人のように一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパとシンバルと様々な楽器を奏でて声をあげ、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と主に向かって賛美した。そのとき、雲がその宮、すなわち主の宮に満ちた。
祭司たちは、その雲のために、立って仕えることができなかった。主の栄光が神の宮に満ちたからである。"
歴代誌 第二 5章13~14節
楽器の音はいつも「神様がここにおられる」ことの表れです。それは新約聖書でも同じで、イエス様がもう一度この地上に来られる時にはラッパの響きとともに来られます。
"すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、"
テサロニケ人への手紙 第一 4章16節
今も教会で楽器の音を出す人は特に「神様がここにいらっしゃる」ことを誰よりも意識して表現する責任があります。自己表現ではありません。
奏楽者は音楽家よりも、祭司です。教会の楽器は神様の臨在を表します。そして奏者は神様の心を自分の心として表現するです。
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