1テサロニケ5.16-24 礼拝メッセージ「神様がそのようにしてくださいます」
一昨日の金曜日、牧師会があって、若葉キリスト教会に集まって6人で交わりをしました。
その時に松元先生がメッセージをしてくださったんだけど、とても印象的でした。
聖書は聖霊を受けてない人にとっては意味がわからない。無意味な、謎の言葉でしかない。けれども、聖霊を受けた私たちにとっては、生きた言葉であり、命であり力である。
感動のない、昔の難しい文書に見えるこの聖書が、神様の霊を受けた私たちとっては喜びです。その言葉が私たちの中に働いて力そのものとなっていく、とおっしゃってました。本当にそうだと思います。
今日の言葉も単なる理想とか教えではなくて、神様の命そのものでありますように。そう信じて、求めていきたいと思います。
23節
"平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。"
「聖なるもの」とは「取り分けられたもの」です。「完全に神様のもの」ということです。「聖なるコップ」があるとしたら、「神様専用のコップ」「普段使いはしないコップ」ということです。
そのようにイエス様を信じて聖霊を受けた人は、心も体も神様専用になっていきます。もちろん普段使いの体と心ですが、いつも神様と一緒で神様の心や願いを表すに人になっていきます。だんだんになっていきます。
しかも、そうしてくれるのは「平和の神ご自身」です。苦行とか、修行ではなくて、平和の中で安心感の中でそのように変えてくれます。
"あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。"
テサロニケ人への手紙 第一 5章24節
神様がそうしてくださいます。「召された方」っていうの呼んでくれた方、という意味です。
今日皆さんがここに座ってるのは神様が呼んで招いてくれたからです。
自分で来たんだけど、実は神様から呼ばれてきました。
皆さんがイエス・キリストを信じたのは神様が呼ばれたたからです。
いろんな宗教があるけど、イエス様は「あなた方がいろんな宗教からわたしを選んだのではありません。私があなたを選び、あなた方を任命したのです」とおっしゃいます。
しかも、神様は平和の中で、完全に神様のものとして作り替えてくださいます。
どのように変えられていくか、その大事な性質が今日読んだ箇所です。
(16-18節)
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
これらは神様の人となった特徴です。
今日のメッセージは「喜びましょう」ってプレッシャーを与えるのではなく、
「感謝しましょう」と押し付けるのではなく、
「いつも祈れ、祈れ、がんばれがんばれ」と言うことではありません。
神様が平安の中でそのようにしてくださいます。
聖書の言葉は言葉だけではなく、力と愛を伴います。私たちは内側から変えられて、喜ぶもの、祈る人、感謝するものとされていきます。
"私たちの福音は、ことばだけでなく、力と聖霊と強い確信を伴って、あなたがたの間に届いたからです。
テサロニケ人への手紙 第一 1章5節
「福音」は、良い知らせ、喜びの知らせです。
今日のメッセージは「良いお話だった」で終わりません。帰るときには聖霊によって強い確信が与えられ、皆さんが喜びの人、祈りの人、感謝の人に変えられると信じます。
●なんで「よいか?」イエス様に愛され、イエス様を愛するから
「よ」喜び 「い」祈り 「か」感謝
略して「よいか」です。
有名な箇所だし、聞いたことがあると思います。
実はこの言葉が語られた相手は、苦しみのまっただ中にいた教会でした。
迫害され、誤解され、しんどい状況の中にいた人たちです。
それでもすでに彼らは喜んでいました。喜び感謝している理由は、嫌がらせを受けているけど、それがイエス様に習うものとして、イエス様と一緒に苦しみ、イエス様と一緒に復活して栄光を受け冠を受ける望みを見上げて忍耐しているからです。それを知ったパウロは嬉しくて、感謝して、ますます喜んでこの手紙を書いています。
この手紙を届けるにあたって、一番最初に書いていることは、「あなた方のこと思い出すたびに感謝しているし喜んでいる!」ってことです。
(1章2節)
私たちは、あなたがたのことを覚えて祈るとき、あなたがたすべてについて、いつも神に感謝しています。
その理由は3節です。
(3節)
"私たちの父である神の御前に、あなたがたの信仰から出た働きと、愛から生まれた労苦、私たちの主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐を、絶えず思い起こしているからです。"
パウロたちが最初ここで伝道したのは、わずか3週か4週です。ひと月くらいです。(使徒17章)
その時、激しい迫害がありました。信じたばかりの、わずか一ヶ月のベビークリスチャンを残して、パウロたちはは別の町に逃げるしかありませんでした。ところが、残されたクリスチャンたちには力と聖霊と強い確信が与えられていて、彼らは苦しみながらも喜んで神様のために働き、神様の愛を実践し続けていました。パウロはそれを知って感動し、神様に感謝しながらこの手紙を書いています。
苦しみがあっても、イエス様のための働きをやめないのは、その働きが人から出たものではなくて、神様から出てるからです。
これが3節「信仰から出た働きと、愛から生まれた労苦」です。
働きの内容がどうだった、何をしたか、よりも、この働きが「信仰から出ている」「愛から生まれている」ことを喜んでいます。彼らは「イエス様が罪を全部なくしてくれた」と喜び、「イエス様は苦しめられたけど復活した」と信じて、力を与えられていました。聖霊によって神様からの愛が与えられていました。だから、苦しみの中でも彼らは神様を愛し、隣人を愛し、喜び祈り感謝することをやめませんでした。
今は苦しいけど、嫌なことあるけど、イエス様につながった彼らは、イエス様の苦しみに連帯してる、って思ってます。この忍耐の先には栄光をいただける、と知って、彼らは喜んで忍耐していました。
これが、1章3節の「私たちの主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐」です。
僕らも同様です。イエス様を信じてつながることは、イエス様と共に苦しむことでもあります。でもその先には復活があり栄光があります。感情的に落ち込み沈んでしまうような状況はあります。でもイエス様のため、イエス様と一緒に、っと思うと喜びに変わります
イエス様も言われます。
(マタイ5章11-12節)
わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。
●もしイエス様と関係がないなら…
もし、イエス様と関係なく、自分の努力とか愛だけで動くならガッカリすることが多いと思います。いくら愛しても相手は答えてくれないし、裏切られることもあります。そのうち自分ももう無理、と思って落ち込みます。みなさんも経験があると思います。
「こんなにやってるのに誰も自分のやってることを評価してくれない」
「誰もありがとうって言ってくれない」
状況がよければ喜ぶけど、思い通りにならなければ落ち込みます。それは不満と不安と怒りかわります。とてもじゃないけど、いつも喜んでることはできません。
人の愛も力も有限です。限界があります。でも、神様は裏切ることがないし、無限の愛と力を与えてくださいます。「いつも喜んでいなさい」とは、神様との関係を喜んでいなさい。です。
※質問です
・皆さんが一番犠牲を払い、時間をかけ、苦労していることはなんでしょう?
・それは何のためでしょう。誰のためでしょう。
・みなさんが一喜一憂する原因はなんでしょう。
もし、人のために愛するなら、自分のために頑張るなら、いくら愛しても、頑張っても、ガッカリする時がきます。相手はあなたに噛みつくことさえあります。
でも、もしそれが「神様のため」なら、そして、「神様と一緒」なら、もし人に手を噛まれても、赦し、愛することを続けさせてくれます。もし手を噛まれたときも「もともとあなたのためにやってたわけじゃないし。イエス様のために、イエス様と一緒にやってることだし」と思います。
●なんで「よいか?」御霊によって
(16-18)
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
これは御霊による喜び、祈りです。感謝です。御霊は神様の霊です。信じる人に与えられます。だから19節は「御霊を消してはいけません。」と続きます。
聖書のみことばは単なる情報とか知識でなく、御霊の愛と力を伴います。
聖書のことばは世界を作り、人を作り、世界を変え、人を変える神様の御霊の表れです。みことばには力があります。
御霊が与えられると…?
→神様のことばがわかる
→神様からの愛が与えられる
→力も与えられる
"私たちの福音は、ことばだけでなく、力と聖霊と強い確信を伴って、あなたがたの間に届いたからです。"
テサロニケ人への手紙 第一 1章5節
さっきも松元先生の話を紹介しましたが、みことばが届くと、僕らは確信して「神様のために働きたい」「神様のために忍耐したい」「祈りたい」「感謝したい」と願うようになります。御霊が祈りを与え、感謝を与えてくださいます。御霊がそうさせてくださいます。
「絶えず祈りなさい」
目を閉じて、手を組んで、とか、そういうのでなくて、いつもです。
目を閉じてたら運転できないし仕事できません。一日中、心の中では神さまと話す感じです。運転しながらでも、仕事しながらでも。声に出さなくても、心の中ではいつも神様に話したい、と思います。
※質問です。
誰かにお願いして安心した経験はありますか?
信頼できる上司がトラブルに介入してくれて、しかもちゃんと守ってくれて安心した、とか。
小学校の時、いい先生がいて、ちゃんと守ってくれた、とか。
あの人に相談したら、親身になって愛してくれて、安心させてくれて、しかも介入してくれる、って経験があると思います。経験が少ない人もいるかもしれないけど、一人あげて見てください。
神さまはその人以上です。神様は本気です。
命を捨ててもいいくらいにあなたのことを愛しています。
罪を犯したとき、失敗したとき、イライラして人を傷つけてしまったとき、「自分のせいで、神の愛は取り去られてしまった」と思いがちです。
それでも、神様の愛は変わりません。
イエス様がその罪を背負って神の怒りを引き受け、赦してくださった、愛は変わりません。
だからイエス様は「心の貧しい人は幸い」「悲しむ人は幸い」「飢え乾く人は幸い」とおっしゃいます。
(マタイ5章)
神様は、あなたがどんな人間か、全部分かっています。
これからも人を傷つけてしまうかもしれません。それでも神は、あなたを愛しています。選んでいます。そして、その愛を、決して取り去ることはありません。
それは、あなたの良さに基づいているわけではありません。だから「恵み」です。だから「愛」です。取引ではない愛、一方的な愛です。これが「恵み」です。そこには喜びがあり、感謝があります。
だから安心して、なんでも報告です。連絡です。相談です。「ほうれん草」です。それは安心と喜びと感謝をもたらします。
喜びと祈りと感謝はセットです。
神様にちゃんと言わないと、自分だけで生きていると疲れてくるし、息切れをします。でも、いつも神様に祈って、お願いして、頼っていると、どんなことにも平安があるし、小さなことにも感謝があります。
(17節)絶えず祈りなさい。
祈らないで、感謝しないでいたら、見えるのは、悪い状況だけです。
その状況にばかり目を止めるから喜べなくなります。これは悪循環です。
感謝すること、祈ることです。どんな小さなことでも祈ることです。
「昨日のご飯が美味しかったです」って祈る時に、喜びと感謝が与えられます。
「昨日の、あの人とのライン、神様が与えてくださいました」って祈る時に、ただのラインが感謝と喜びのラインになります。「よく眠れました」って祈る時に、睡眠が神様への感謝と喜びになります。
「あの人がいてくれました、あの人がこう言ってました」と一つ一つ祈る時に、その人の存在が感謝と喜びになります。
ちなみに、僕のルーティンは毎朝24時間前から、やったこと、全て思い出して全部感謝するように心がけてます。できれば、食べたおかずも思い出して感謝したいと思っています。人との会話も思い出して感謝したいな、とは思っています。ひとつひとつ数えたら、嬉しくて、感謝で、文句は消えていきます。もちろん、失敗や罪もあるので、謝ります。祈って謝って、赦してくださるイエス様の十字架の恵を感謝します。
変な人、難しい対応があっても、自分には荷が重いことがあっても、祈ります。「神様、自分には無理です。」と祈り、「神様、できません、疲れます。緊張します」って祈りながら進む時に、小さな一つ一つが全部「神様のおかげです、ありがとうございます」と感謝に変わります。
(箴言3章6節)
あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。
(18節)
すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
「すべてのことにおいて」感謝することはめちゃくちゃ大事です。すべての状況を支配しておられるは主権者である神様です。辛いこと、悲しいこと、ひどいことがあっても、そこに神様のご計画と主権があります。だから、感謝です。
神様の御心とはAですか?Bですか?と迷うけど、答えはどちらか、と言うよりも
「あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。」(箴言3.6)「すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」選ぶことも大事だけど、それ以上に感謝すること、これが神様の御心です。
●御霊を消さないで
19節「御霊を消してはいけません」
僕たちは聖霊を消すことができてしまうようです。
罪を選び続け、聖霊を消すことができます。わかっているけど、「赦しません」「恨みます」を選び続けることができます。人を赦さないで、恨み憎しみ続けることで聖霊を消すことができます。これは、マズイな、という思う悪い癖、例えばエロ動画を選び続けることができます。そうやって御霊を自分から消し続けることができます。御霊を消してしまったら何も残りません。
いや、残るのは肉だけです。人間の肉、人間の力だけが残ります。
その結果は悲惨です。
(ガラテヤ5章19-21節)
肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、
偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。
みなさん、どちらがいいですか?喜びと祈りの感謝の人生がいいですか?
淫らな人生、そして、憤り、敵意、妬み、恨みの人生がいいですか?
●神様がそのようにしてくださいます
御霊によって、きよくされ、ますます喜び、祈り、感謝の人生になります。神様ご自身がそれをしてくださいます。24節で、それがはっきり言われています。
「あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。」
もし皆さんのクリスチャン生活が、しんどくて、重くて、苦行みたいになってるなら、御霊が消えかかってるのかもしれません。御霊を消してはいけません。御霊は、神様の愛と赦しを与え続けてくださっています。
みなさんのクリスチャン生活が喜びがあり、祈りが自然に出てきて、感謝があるなら、それは御霊の力です。御霊の愛と力が与えられているしるしです。
(24)
あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。
信仰生活が重くなったとき、「もっと頑張らなきゃ」って思うようです。僕も頑張って神様の恵や愛を稼ごうとする悪い癖があります。神様の愛は稼ぐものではないし、取引するものでもないです。もうすでに満ち溢れています。
全部が恵です。出来事全部が神様のみ手の中です。人生の全部が神様から与えられたものです。
だから、いつも喜んでいましょう。絶えず、祈りましょう。
神様がよくしてくださったことを数え上げましょう。
小さなひとつひとつをほうれん草して、祈りましょう。
全てのことにおいて感謝しましょう。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
そうやって、感謝し、祈る生活は喜びの生活です。喜びがないはずがありません。
祈りのメインは感謝です。お願いごともいいけど、でも、神様がすでに与えてくださった愛とめぐみを小さいことも感謝して祈ることです。
みなさんの人生は喜びに向かっています!
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