民数記32.51-56
教会では「アウト」でも世間では「普通のこと」だし「みんなやってるし」と思うことがたくさんあります。なので、「自分的にはギリセーフ」とか「バレなきゃいいじゃん」とか「迷惑かけなきゃいいじゃん」とか思いがちです。
神様がイスラエルにカナンの土地を与えるときに、神様は「その土地の人々全員」を追い出し「みんなやってる偶像礼拝」「その関連施設や石像や鋳造」を徹底して破壊しなさいと命令します。
その土地の人たちが拝んでいたものとか、絵とか像とかはめちゃくちゃ淫らで、見た目もグロテスクで、性的な描写が誇張されていたものばかりでした。彼らが淫らなこと=礼拝行為をしていた「高き所」も徹底的に根こそぎ消し去るように、と神様は命令します。
"「イスラエルの子らに告げよ。あなたがたがヨルダン川を渡ってカナンの地に入るときには、
その地の住民をことごとくあなたがたの前から追い払って、彼らの石像をすべて粉砕し、彼らの鋳像をすべて粉砕し、彼らの高き所をすべて打ち壊さなければならない。
あなたがたはその地を自分の所有とし、そこに住め。あなたがたが所有するように、わたしがそれを与えたからである。"
民数記 33章51~53節
それらは人を神様から引きずり離す力があります。「記念に残しておこう」とか「このくらいはOK大丈夫」と思っても、最後にはイスラエル人は染まっていき、神様に嫌われ、滅ぼされる側になってしまいます。そのような悲しい結末が何度も聖書に書かれています。
"もしその地の住民をあなたがたの前から追い払わなければ、あなたがたが残しておく者たちは、あなたがたの目のとげとなり、脇腹の茨となり、彼らはあなたがたが住むその土地であなたがたを苦しめる。
そしてわたしは、彼らに対してしようと計画したとおりを、あなたがたに対してすることになる。」"
民数記 33章55~56節
罪は膨らみ、モンスターのように成長していき、自分を支配するようになります。だから小さいうちに捨てるのが正解です。よく見たら小さな妬みや高ぶりや淫らな思いがもう芽を出しています。「このぐらいはいいっしょ」ではありません。わかってるのにそのまま放置するなら、いつの間にか制御不能になり自分を苦しめ続けるものになります。
神様は他の民族と交流のない荒野を旅させたのに、悪い影響を受けないようにしてくださったのに、彼らは自分から金の子牛を作り出して拝んだり、モアブの女性たちと淫らなことをしたりしてきました。
ならば、カナンの土地に入って淫らな礼拝に取り囲まれた場所で影響受けずに生きるのは不可能です。だから神様は「その地の住民をことごとくあなたがたの前から追い払って、彼らの石像をすべて粉砕し、彼らの鋳像をすべて粉砕し、彼らの高き所をすべて打ち壊さなければならない。」とおっしゃいます。
神様は「ねたむ神」です。徹底して神様の嫌いなものを「取り除きなさい」とおっしゃいます。
今日も認めましょう。心の中にある小さなずるさ高ぶり淫らな思い、妬み、怒り貪欲、そのようなものがあるし、放置していることを認めましょう。そして告白して捨てましょう。
世間では「普通のこと」だし「みんなやってること」でも、放置するのは心の中で神様が嫌われる「蛇」を飼っているかのようです。いつの間にか「目のとげとなり、脇腹の茨となり…あなたがたを苦しめる。」と言われています。
だから罪があることを認めましょう。罪を好み、罪を楽しむことを認めましょう。そのままなら何もいいことがありません。認めて、告白して、イエス様の前で手放しましょう。
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