民数記32.20-42
「我が家だけ守られればいい」「ウチの教会だけ祝福されればいい」ぶっちゃけそう思って他人とか他の教会には無関心になりがちです。「自分の教会の敷地の中だけのことを考えた礼拝メッセージ」が多いのが実情です。
ガド族とルベン族は他の部族よりも先にいい感じの居住地を見つけて「先にそこに住みたい」「ここがいい」とモーセに言いました。モーセは怒って言います。
「あなたがたの兄弟たちは戦いに行くのに、あなたがたはここにとどまるというのか。」(6節)
ここで問題になったのは「他の部族がまだ戦っているけど先に安住する」という姿勢です。先に与えられるのは感謝なことだけど、他の人たちのためにも戦う必要があります。与えられた人は与えられてない人のために仕えるように、聖書全体が教えています。
"モーセは彼らに言った。「もしあなたがたがそのことを実行するなら、すなわち、もし主の前で戦いのために武装し、あなたがたのうちの武装した者がみな主の前でヨルダン川を渡り、ついに主がその敵を御前から追い払い、その地が主の前に征服され、その後であなたがたが帰って来るなら、あなたがたは主に対してもイスラエルに対しても責任を解かれる。そして、この地は主の前であなたがたの所有地となる。"
民数記 32章20~22節
"モーセは彼らに言った。「もし、ガド族とルベン族の、戦いのために武装した者がみな、あなたがたとともにヨルダン川を渡り、主の前で戦い、その地があなたがたの前に征服されたなら、あなたがたはギルアデの地を所有地として彼らに与えなさい。"
民数記 32章29節
与えられた賜物や祝福は神様に感謝しましょう。でもそれは自分のためでなく、他の人の祝福のための預かり物です。実はパウロも「先に天国に行きたい」と思ったようです。「そのほうが、はるかに望ましいのです。」と。でも、仲間のことを考えたらまだ地上に残って労苦すべきことがあるし「あなたがたのためにはもっと必要です。」と言っています。
"私は、その二つのことの間で板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。そのほうが、はるかに望ましいのです。
しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためにはもっと必要です。"
ピリピ人への手紙 1章23~24節
ルベン族、ガド族は全ての人たちの戦いが終わるまで一緒に戦い、自分の居住地に安住することはしませんでした。
"私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、自分を喜ばせるべきではありません。私たちは一人ひとり、霊的な成長のため、益となることを図って隣人を喜ばせるべきです。"
ローマ人への手紙 15章1~2節
ダビデもまた「自分は豪華な家が与えられたのに、神様を礼拝する神殿がまだ建設されてない」と思いました。彼は神殿建設の準備のために多くをささげます。先に良いものが与えられた人にはやるべき役目があります。
"王が自分の家に住んでいたときのことである。主は、周囲のすべての敵から彼を守り、安息を与えておられた。
王は預言者ナタンに言った。「見なさい。この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中に宿っている。」"
サムエル記 第二 7章1~2節
与えられた賜物も平安も祝福も周りの人たちに流れていくためのものです。世界の教会は一つです。霊的には一つのキリストのからだであり、一人一人は器官であり兄弟姉妹です。苦闘している仲間たちがたくさんいます。「自分だけ良ければ…」と思いがちですが、他の人たちのために使いましょう。イエス様は全てを捨てて、全てを与えて僕らを愛してくださいました。僕らも分け合いましょう。喜びも、労苦も、分け合いましょう。ハレルヤ!
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