使徒25:19、26:8
5つのパンで5000人食べた
水の上を歩いた
死人が復活した
↑このような箇所に「ん?これはないな」とか「これは無理でしょ」と思いがちです。
無理かどうかは、やる人の「能力」によります。
大工さんが家を建てているのを見て、「僕はこんなの無理」と思います。…ですが、大工さんにとってみれば当たり前で普通のことです。
できるかどうかはその人の能力によります。
同じように、人にはムリなことも神様にとっては当たり前です。
土から人間を作り、そこにいのちを吹き込んだ神様にとっては、死人を復活させることは「ムリ」なはずがありません。
神様はイエス様を復活させました。
イエス様は殺されましたが、今、生きています。
パウロはそれを主張しましたが、この世の裁判官であるフェストゥスにとっては自分の理解や判断を超えている問題でした。彼は言います。
"ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関すること、また死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのです。"
使徒の働き 25章19節
神様のなさる事が人間の能力や経験を超えているのは当たり前のことです。人間の経験や知識に収まる程度の神様なら僕らが勝手に作った「小さな神様」です。
神様がなさることを総督フェストゥス本人が「見当がつかない」と言ってます。
"このような問題をどう取り調べたらよいか、私には見当がつかない…”
使徒の働き 25章20節
僕らは神様のことを小さく考えたり、自分の判断の中に押し込めたりしがちです。神様を僕らの経験や知識の中に押し込めることはできません。
だのに、僕らは神様のことを小さくしてしまいます。それで「僕の経験では無理」「今までそんなことは一度もなかった」とか言います。
神様に不可能はありません。
死人を復活させることも神様にとって不可能ではありません。
パウロはアグリッパ王の前でも言います。
"神が死者をよみがえらせるということを、あなたがたは、なぜ信じがたいこととお考えになるのでしょうか。"
使徒の働き 26章8節
僕らにも言われてます。「あなたがたは、なぜ信じがたいこととお考えになるのでしょうか。」どうして僕らは「ムリ」とか「できない」とか勝手な判断をするんでしょうか。確かに、僕らにはできません。でも神様にはできます。神様は「私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方」です。(エペソ3.20)僕らの「無理」を神様に適用したり決めつけたりしないことが大事です。
できないからこそ神様に願い、求めましょう。そして神様の偉大さと栄光を一緒に体験しましょう。「神が死者をよみがえらせるということを、あなたがたは、なぜ信じがたいこととお考えになるのでしょうか。」ハレルヤ!
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