2022年12月13日火曜日
エゼキエル18.19-32
エゼキエル18.19-32
神様は正しく裁く方です。そして罪人を愛し、赦し、憐れむ方です。この二つは矛盾するのでなく、両方とも真実です。神様は一人も滅びることなく、生きて欲しいと願っておられます。罪ゆえに傷つき苦しむこと、神の裁きで死ぬことを願わない神様です。「ざまあみろ」ということはありません。
(ローマ5.7-8)
キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。(…中略…)私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
どんな悪人でも、どんな過去があっても神様の前に罪を認め悔い改めるなら100パーセント完璧に赦されます。「すべての背きは覚えられることがなく」と書かれています。(22)過去の罪は消え去り、忘れ去られ、その人は完全な人と見なされます。
(21-23)
しかし、悪しき者でも、自分が犯したすべての罪から立ち返り、わたしのすべての掟を守り、公正と義を行うなら、その人は必ず生きる。死ぬことはない。彼が行ったすべての背きは覚えられることがなく、彼が行った正しいことのゆえに、彼は生きる。
わたしは悪しき者の死を喜ぶだろうか──神である主のことば──。彼がその生き方から立ち返って生きることを喜ばないだろうか。
神様からの警告は僕らが神様に戻り生き返り祝福されるためのものです。神様に戻り赦されたその人は新しく変えられます。罪を認める人には「新しい心と新しい霊」が与えられます。それが本来の人間の姿です。
(31-32)
あなたがたが行ったすべての背きを、あなたがたの中から放り出せ。このようにして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ、なぜ、あなたがたは死のうとするのか。わたしは、だれが死ぬのも喜ばない──神である主のことば──。だから立ち返って、生きよ。」
神様の計画は僕らがキズがなく、聖なる美しい子どもとして神様の願いの通りに生きることです。神様は世界が造られる前からそのよう計画されていました。
(エペソ1:4-5)
すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。
神様は正しく裁く方です。同時に悪人が死ぬのを悲しみ、愛し続け、今日も救おうとしておられる神様です。イエス様は不敬虔な罪人のために身代わりに神の裁きを受け、死んでくださいました。ここに神様の愛が現れています。
(ローマ5.8)
私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
罪を認め、捨てることは、僕らが本来持っている新しい心、聖霊の心に満たされることです。「このようにして、新しい心と新しい霊を得よ。」です。(31)
今日もどんな小さな心の中の罪も認めて捨てましょう。神様は新しくしてくださいます。イエス様は十字架の上で苦しみ、祈り、とりなし、神様の裁きと愛の真実さを見せてくださいました。
今日もただ、イエス様の十字架によって僕らはきよめられ、新しくされています。希望は十字架にだけです。イエス様以外に救いはありません。新しくされます。この福音を伝えましょう。主は全ての人が生きることを願っておられます。ハレルヤ!
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