2024年6月3日月曜日

出エジプト40.16-38

 出エジプト40.16-38


会見の天幕は天にある本物の「模型」です。(ヘブル9.24)そこには神様のいのちが満ちています。光が満ちています。賛美が愛が満ちています。僕らは天にある本物の素晴らしい住まいに招かれています。会見の天幕は天の「写し」です。(ヘブル8.5)そこには神様の言葉が収められた箱があり、神様との交わりのパンが整えられた机がありました。パンは神様との交わりを表しています。天の国は天使たちと一緒に喜ぶ聖なる大宴会です。「あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い」と聖書は説明します。(ヘブル12.22)天幕の一つ一つには神様が願っておられる天の世界が現れています。



(22節から23節)

また、会見の天幕の中に、すなわち、幕屋の内部の北側、垂れ幕の外側に机を置いた。

その上にパンを一列にして、主の前に並べた。主がモーセに命じられたとおりである。



天の国には光が満ちています。「もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、ともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは世々限りなく王として治める。」とあります。(ヨハネの黙示録 22章5節)

会見の天幕の中に燭台が置かれ、ともしびが輝いていました。



(24節から25節)

会見の天幕の中、机の反対側、幕屋の内部の南側に燭台を置き、

主の前にともしび皿を掲げた。主がモーセに命じられたとおりである。



神様ご自身が光です。イエス様も光です。神様は「近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。」(1テモテ6.16)その通り、神様の圧倒的な栄光に満たされた時、モーセはそこに入れませんでした。



(34-35)

そのとき、雲が会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。

モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。



イエス様も一度、山の上で弟子たちの前で御姿が変わり、天での姿を表してくださいました。(マルコ9.2-3)ペテロたちは圧倒され直視でませんでした。神様が臨在されることは近づくことができないほどの光に満たされることです。天ではその光の中でいつも神様への賛美と祈りが捧げられています。それを表すように、会見の天幕の中では、いつも香り高い香がささげられていました。



(26節-27節)

26,それから、会見の天幕の中の垂れ幕の前に、金の祭壇を置き、

27,その上で香り高い香をたいた。主がモーセに命じられたとおりである。



香は祈りです。(黙示録5.8、8.3-4)また、天では長老たちは香炉と同時に楽器を持っています。「彼らはそれぞれ、竪琴と、香に満ちた金の鉢を持っていた。香は聖徒たちの祈りであった。」(ヨハネの黙示録 5章8節)天国は祈りと音楽がセットでささげられています。


また、会見の天幕の入り口には、全焼のいけにえを焼き尽くす、巨大なバーベキューコンロのような祭壇がありました。



(29節)

会見の天幕である幕屋の入り口に全焼のささげ物の祭壇を置き、その上に全焼のささげ物と穀物のささげ物を献げた。主がモーセに命じられたとおりである。



そこでは動物が殺され、灰になるまで焼き尽くされました。そして、また、穀物も焼いてささげられました。僕らは動物を殺す必要はありません。イエス様が最後の完璧ないけにえとしてイエス様が自分をささげきってくださったからです。



(ヘブル9:13-14)

やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、

まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。



新約聖書が現代の僕らに教えるいけにえとは、神様に感謝し賛美することです。



(ヘブル人への手紙13章15節)

私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。



また、もう一つ現代のいけにえがあります。それは隣人を愛し、善を行い、良いもの分け合うことです。



(ヘブル人への手紙13章16節)

善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです。



天の栄光は今も僕らに表されます。イエス様は「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」とおっしゃいました。(ルカ17.21)僕らが会見の幕屋であり、聖霊の宮であり、神様の御住まいだと聖書は何度も繰り返します。(1コリント3.16、エペソ2.21-22等そこは賛美が満ちていて、感謝が満ちていて、光が満ちている喜びの世界です。


今日も祈りましょう。賛美を捧げましょう。祈りや賛美は御霊に満たされることとセットです。神様の光に満たされ、神様のことばに満たされることは、賛美と祈りに現れます。また、隣人に喜んで善を行うことにも現れます。それが天国の表れであり神の栄光の現れです。

神様は今日も賛美の中に住まわれます。賛美は主の家にふさわしいものです。神様が地上でもその栄光を表してくださる環境は祈りと賛美と良い行いです。

古い家具もカーペットも全部捨てるように、古い自分は捨てちゃいましょう。新しい神様の家として歩みましょう。僕らの中に神様のいのちが満ちています。光が満ちています。賛美が愛が満ちています。ハレルヤ!




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