旧約聖書は何度も永遠の王様キリストが生まれることを預言しています。しかもベツレヘムで生まれることが預言されています。(ミカ5.2)母マリヤはベツレヘムとは関係のないナザレ出身です。でも、見事にこのタイミングで人口登録の命令が出て、マリアとヨセフはベツレヘムまで行かなければなりませんでした。そして、ベツレヘム滞在中に出産します。行政の都合に見えますが、実は全てが神様の預言の実現でした。キリストはダビデの子孫の中から生まれ、ベツレヘムで生まれます。その通りにイエス様はお生まれになりました。イスラエル人たちがずっと待ち望み、預言されてきたキリストはついに、全てが預言通りにお生まれになりました。
(1-7)
そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
永遠の王が生まれた場所は家畜小屋でした。「宿屋には彼らのいる場所がなかった」とあります。キリストは神である方なのに、全てを捨てて、しかも、誰よりも低い身分になって来られました。誰にも受け入れられず、助けてもらえなかった彼らは家畜のいる小屋で出産します。今で言うなら駐車場の片隅で出産するようなものです。イエス様は誰よりも低くなり、友のいない人、助けのない人の側に来てくださいました。
そんなイエス様の誕生を一番最初に知らされたのは羊飼いたちです。羊飼いたちの身分は当時最底辺と言われていました。無学でマナーがないと言われ蔑まれていた人たちです。神様は社会の底辺である彼らに一番先にイエス様が来てくださったことを知らせてくださいます。
(8-11)
さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。
すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
人々からいつも見下されている羊飼いたちは神様の光も恐れます。自分たちは神様に照らされた時に顔向けできるような立派な人間ではないと思い恐れます。でも、そんな彼らに御使いは「恐れることはありません」と言ってくださいます。
イエス様が来られたのは一番見下されている人たちや居場所のない人たち、そして汚れた人たちのためです。そして、そんな彼らを引き上げ、救ってくださる方です。イエス様は低い者たちにとって希望です。低いものは高くされます。高ぶる人たちは低くされます。イエス様は見捨てられた人たちを捨てず、愛し、引き上げ、救ってくださる方です。これは「この民全体に与えられる、大きな喜び」です。
イエス様は小さい者、居場所のない者、見下された者、汚れた者の側になってくださいました。僕らもひざまずきましょう。感謝しましょう。全ての栄光と権威を捨てて来てくださいました。イエス様の降誕は神様のへりくだりです。
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