イエス様の話を伝えたり、イエス様のことで集まったりするだけで逮捕されるのはいつの時代にもありました。日本でも鎖国時代はもちろん、今80代の先輩たちが子ども時代にはイエス様を礼拝することは「非国民」だと攻撃され、天皇陛下を礼拝しない教会は逮捕者も出ていました。そもそも、イエス様ご自身がこの世の権力者から嫌われています。そして、初代教会の使徒ペテロもヨハネも逮捕されています。迫害と聞くと「怖い…」と思いますが、聖霊に満たされた人たちは驚くほど落ち着き、ますますイエス様への確信に満ちていることがわかります。
(1-3)
ペテロとヨハネが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、サドカイ人たちが二人のところにやって来た。彼らは、二人が民を教え、イエスを例にあげて死者の中からの復活を宣べ伝えていることに苛立ち、二人に手をかけて捕らえた。そして、翌日まで留置することにした。すでに夕方だったからである。
ペテロとヨハネが逮捕された理由は2人が死者の中からの復活を宣べ伝えていることへの苛立ちです。自分たちと違う教えに苛立った、というだけで逮捕できる力があったようです。一方、ペテロとヨハネの話を聞いた人たちは信じる人たちが続出し、一日で男が5000人(女性や子どもも入れると一万人以上)にもなりました。
(4)
しかし、話を聞いた人々のうち大勢が信じ、男の数が五千人ほどになった。
大勢が次々とイエス様を信じていく状況に、権力者側はペテロとヨハネを罰してこの教えを消し去ろうと裁判をしました。祭司側のメンバー全員が集まる大きな裁判になりました。
(5-7)
翌日、民の指導者たち、長老たち、律法学者たちは、エルサレムに集まった。
大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレクサンドロと、大祭司の一族もみな出席した。
彼らは二人を真ん中に立たせて、「おまえたちは何の権威によって、また、だれの名によってあのようなことをしたのか」と尋問した。
ペテロとヨハネは当時の最高の権力者たちに囲まれ尋問されます。相手は頭が良くて身分も学歴もお金もあるエリートたちです。一方ペテロは何もない学問もお金もない漁師です。しかも、イエス様が尋問された時に「あんな男は知らない」と3度も否定し恐れて逃げた臆病な人です。ところが、聖霊が与えられたペテロは別人です。相手が誰であろうが神様に信頼し落ち着き払ってます。彼は「聖霊に満たされて」と書かれています。
(8-12)
そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。
私たちが今日取り調べを受けているのが、一人の病人に対する良いわざと、その人が何によって癒やされたのかということのためなら、
皆さんも、またイスラエルのすべての民も、知っていただきたい。この人が治ってあなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの名によることです。
『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石、それが要の石となった』というのは、この方のことです。
この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」
ペテロは聖霊に満たされて、旧約聖書を引用してイエス様の権威と救いを教えています。相手は旧約聖書の大先生たちです。人間は学歴とか頭の良さとかで相手を恐れたり崇めたりしますが、神様の前ではどんな知恵者も愚かな人間にすぎません。
(1コリント 3:19-20リビングバイブル )
この世の知恵は、神から見れば愚かだからです。聖書のヨブ記に、「神は人の知恵を、その人を捕らえるわなとして用いられる」(5・13)と書いてあるとおりです。つまり、人は自分の「知恵」につまずいて倒れるのです。 また、詩篇には、「主は、人間の考えや判断がどんな程度か、また、それがどんなに愚かしく無益か、よく知っておられる」(94・11)とあります。
聖霊に満たされると、ただ神様の前に歩んでいることがわかるようになります。人からどう見られるかは二の次三の次です。ペテロは権力者たちを前にはっきりと言います。「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」
救いはイエス様にだけあります。だのに僕らは余計なことばかり心配して恐れるようです。攻撃を受けても、それ以上に神様は聖霊に満たしてくださり、恐れを決して必要なことを話させてくださいます。大丈夫です。安心して聖霊に委ねましょう。
(マルコ13:11)
彼らに捕えられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。
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