よく教会で「神様に向かって」歌いましょうとか、聞いてくださるのは「神様だけ」とか言います。…ですが聖書をよく読むと、歌うことは「人に向かって」知らせることでもあります。
(1)
私は主の恵みをとこしえに歌います。あなたの真実を代々限りなく私の口で知らせます。
聖書の時代、歌うことは人に伝えるための効果的な方法でした。また、歌は神様の約束を覚えるためにも用いられます。詩篇は歌詞です。神様の恵みは永遠に歌い継がれていくべきものです。神様の恵みにウソはありません。これを歌うことは人々に、しかも、次の世代の人々に知らせて行くことです。歌は神様の恵みを具体的に宣言することです。
(2)
私は言います。「御恵みはとこしえに打ち立てられあなたはその真実を天に堅く立てておられます。」
神様はダビデと契約を結びました。神様とダビデの契約はその時だけのものではなく、永遠に変わらない契約です。詩篇はそれを永遠に忘れないための歌詞です。
(3-4)
「わたしはわたしの選んだ者と契約を結びわたしのしもべダビデに誓う。わたしはあなたの裔をとこしえまでも堅く立てあなたの王座を代々限りなく打ち立てる。」
神様はダビデの裔(しかも単数形で一人の人のこと)を永遠に王様にする、と契約を結びました。ところがダビデは死んだし、ダビデの子どもたちも王様にはなりましたが死んでいきました。ダビデの子孫の一人で、しかも永遠の王様って誰のことだろう?というのがユダヤ人たちの関心事でした。まさに、永遠に死ぬことのない支配者、ダビデの子孫とはイエス様のことです。
イエス様が産まれる時に、天の御使いはマリアに言っています。
(ルカ1.31-33)
見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。
その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」
神様の契約は変わることなく真実です。僕らの言葉はすぐにコロコロ変わります。でも、神様の恵みは変わることがありません。神様の真実も変わりません。僕らが感謝し、賛美し、歌い、人に胸を張って伝えることができるのはこの神様の恵みと真実だけです。人の言葉も行いもすぐに忘れられていきます。時代とともに変わります。でも、神様の恵みと真実は変わりません。イエス様はダビデの子孫として永遠に支配されます。いや、もうイエス様の支配はスタートしています。やがて誰の目にも明らかになると聖書に預言されています。
僕らも歌いましょう。そして知らせましょう。神様の恵みは永遠です。神様のことばは真実です。本当にダビデの子孫のイエス様が王です。永遠です。ハレルヤ!
(1-2)
私は主の恵みをとこしえに歌います。あなたの真実を代々限りなく私の口で知らせます。
私は言います。「御恵みはとこしえに打ち立てられあなたはその真実を天に堅く立てておられます。」
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