先輩たちは口々に「人生はあっという間」と言います。子ども時代はすぐに終わり、大人になり老人になって人生は終わります。いくら成功したり繁栄したりしても花がしおれるように人生は終わります。先輩たちも言いますが何より聖書がそう言っています。
(3-6)
あなたは人をちりに帰らせます。「人の子らよ帰れ」と言われます。
まことにあなたの目には千年も昨日のように過ぎ去り夜回りのひと時ほどです。
あなたが押し流すと人は眠りに落ちます。朝には草のように消えています。
朝花を咲かせても移ろい夕べにはしおれて枯れています。
人が衰えて病気になり死んでいくことは神様の意図ではありませんでした。罪の結果であり、神様の怒りとさばきゆえです。本当は死も悲しみも病も叫びもなく全てが良い世界として神様は造られました。でも、全ての人に罪が入り、僕らは互いに傷つけあい、自分も傷つき、消耗して苦しんで死んで行きます。
(7-10)
私たちはあなたの御怒りによって消え失せあなたの憤りにおじ惑います。
あなたは私たちの咎を御前に私たちの秘め事を御顔の光の中に置かれます。
私たちのすべての日はあなたの激しい怒りの中に消え去り私たちは自分の齢を一息のように終わらせます。
私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。そのほとんどは労苦とわざわいです。瞬く間に時は過ぎ私たちは飛び去ります。
聖書が僕らに教えているのは「だから人生なんて虚しいんだ」ではなく、「本来あるべき喜びと祝福の世界に戻って欲しい」という神様の願いです。僕らの人生が苦しみと虚しさに満ちているのは「罪」のせいです。罪は僕らを苦しめます。罪があると他人を責め、自分を責め、弱って行きます。でも、聖書が教えているのは「あなたの罪は赦された」というイエス様の身代わりの十字架による福音です。このイエス様の愛と恵みを信じる人は赦されます。罪責感からは解放され、今度は自分もまわりの人たちを赦します。そこには喜びがあり歌があります。虚しかった人生が満足と平安に変えられます。
(14-17)
朝ごとにあなたの恵みで私たちを満ち足らせてください。私たちのすべての日に喜び歌い楽しむことができるように。
どうか喜ばせてください。私たちが苦しめられた日々とわざわいにあった年月に応じて。
(…中略…)私たちの神主の慈愛が私たちの上にありますように。私たちのために私たちの手のわざを確かなものにしてください。どうか私たちの手のわざを確かなものにしてください。
今年もただ、イエス様の十字架の愛によって赦されています。あなたは無罪です。そして、あなたの隣人もイエス様によって無罪とされます。僕らは互いに責めあったりさばきあったりして消耗する必要はもうありません。イエス様によって無罪です。人生は虚しく消え去るものではなく、喜びと感謝に溢れ、歌いつつ神様と人を愛していく営みです。虚しい人生でなく、労苦と災いの人生でなく、神様が願っておられるのは感謝と歌と喜びの人生です。僕らは赦されています。無罪です。そして互いに赦しましょう!ハレルヤ!
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