人間が神様に赦され、受け入れてもらう方法が旧約聖書に書かれています。それは、「動物を殺す」という方法です。これは旧約聖書のレビ記に書かれています。動物が殺され、血が流されることによって人々が思い出すのは「自分たちの罪の大きさ」です。この方法はイエス様によって人間は完全にきよめられることの予告のようなものでした。
旧約聖書の律法(動物の犠牲によるきよめ)はイエス様が来られる1500年くらい前に書かれたものです。あとでイエス様によって完璧に赦されきよめられることを「来るべき良きもの」と聖書は言います。
(1-4節)
律法には来たるべき良きものの影はあっても、その実物はありません。ですから律法は、年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって神に近づく人々を、完全にすることができません。(…中略…)ところがむしろ、これらのいけにえによって罪が年ごとに思い出されるのです。雄牛と雄やぎの血は罪を除くことができないからです。
イエス様こそ、完璧な、そして最後の犠牲です。イエス様によって僕らの罪は完全にきよめられます。イエス様はそのためにこの地上に来てくださいました。
(9-10節)
それから、「今、わたしはあなたのみこころを行うために来ました」と言われました。第二のものを立てるために、初めのものを廃止されるのです。このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。
イエス様を信じた僕らは「完全に聖なる者」と見なされています。今だに毎日人を傷つけてしまっても、小さな嘘を繰り返してしまっても、です。
(14節)
なぜなら、キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって永遠に完成されたからです。
イエス様は「あなたの罪を思い出さない」と言ってくださっています。
(17-18節)
「わたしは、もはや彼らの罪と不法を思い起こさない」 と言われるからです。罪と不法が赦されるところでは、もう罪のきよめのささげ物はいりません。
僕らの努力や修行でなく、イエス様の一回だけの完璧な十字架の犠牲で僕らはきよめられました。誰がなんと言おうと神様は僕らのことを完全に無罪とみなしてくださっています。「罪と不法を思い出さない」と言ってくださっています。
過去の罪を思い出して後悔するのは僕ら人間の愚かさです。神様は思い出さない、と今日も励ましてくださっています。
安心しましょう。誰がなんと言おうと無罪です。イエス様の十字架の犠牲は完璧に僕らをきよめてくださいます。大丈夫です!ハレルヤ!
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