2023年1月25日水曜日

ヘブル7.11-28

 人間は必ず罪を犯します。旧約聖書の時代は、罪を犯した人は神様の前にいけにえの動物を連れて行き、自分の身代わりに殺して赦してもらっていました。その時に赦してください、と一緒に祈るのは大祭司の役目でした。でも、人間は繰り返して罪を犯します。謝っても祈っても繰り返してしまうのが人間ですその方法では完全な赦しはありません。動物の犠牲を繰り返す大祭司ではなく、一度の犠牲で完璧に全てを赦しきよめる大祭司が必要でした。それがイエス様です。繰り返し動物を犠牲にする律法は廃止され、完璧に罪を赦してくださるイエス様が大祭司として今日も僕らを完璧にきよめてくださっています。


(17-19節)

この方(イエス様)について、こう証しされています。「あなたは、メルキゼデクの例に倣い、とこしえに祭司である。」

一方で、前の戒めは、弱く無益なために廃止され、──律法は何も全うしなかったのです──もう一方では、もっとすぐれた希望が導き入れられました。これによって私たちは神に近づくのです


それまでの大祭司は動物を繰り返して殺してささげました。でも、それではずっと完璧になれません。

イエス様はご自分を犠牲として一度だけ神様にささげました。「イエスは自分自身を献げ、ただ一度でそのことを成し遂げられたからです

」(27節)この犠牲は完璧で、しかも、永遠に有効です


このイエス様を信じた僕らはもう完璧に赦されて受け入れられています。完全に無罪であり、聖なるものとされた、と見なされています。

なので、「もっとこうしなければ、ああしなければ赦されない」ということはありません。僕らがすることはただ、感謝することだけです。救いは行いによりません。もちろん、罪をしてしまったら神様に謝りましょう。赦されます。「謝ったから」赦されるのではなく、「イエス様が十字架で完璧な犠牲となってくださったから」赦しは決定です。「ささげなければ」「こうしなければ赦されない」という戒めは廃止されました。


イエス様は、全く罪のない完璧な永遠の大祭司です


(26-27節)

このような方、敬虔で、悪も汚れもなく、罪人から離され、また天よりも高く上げられた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です

イエスは、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のために、次に民の罪のために、毎日いけにえを献げる必要はありません。イエスは自分自身を献げ、ただ一度でそのことを成し遂げられたからです


しかも、イエス様は神様が誓って任命された大祭司です


(20-21節)

また、神による誓いなしではありません。レビの子らの場合は、神による誓いなしに祭司となっていますが、

この方(イエス様)は、ご自分に対して言われた神の誓いによって祭司となられました。「主は誓われた。思い直されることはない。『あなたはとこしえに祭司である。』」


イエス様の赦しは完璧で、しかも永遠です旧約聖書の時代の祭司とは全然違います。


(23-26節)

また、レビの子らの場合は、死ということがあるために、務めにいつまでもとどまることができず、大勢の者が祭司となっていますが、

イエスは永遠に存在されるので、変わることがない祭司職を持っておられます。

したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。


聖書は旧約聖書の律法に戻りたがるイスラエル人たち(ヘブル人たち)に丁寧にこの恵みを説明しています。

イエス様の救いは「完全」です僕らがどんなに悪く汚れていても、イエス様によるきよめ、赦し、救いは「完全」だし「永遠」です。僕らの頑張りとか、僕らの行いとか、僕らの祈りの熱心さによって救われるのではありません。完璧な大祭司であるイエス様によって僕らは救われています。安心しましょう。そして、感謝しましょう。全部は主の恵みですハレルヤ!



0 件のコメント:

コメントを投稿