イエス様を信じた人は迫害を受ける、と聖書は言います。ところが、イエス様のために迫害を受ける時には不思議な守りがあります。それはイエス様ご自身が誰より苦しめられた方、ということを思い出すからです。
(1ペテロ2.21)
「このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。」
イエス様を信じた人はイエス様の苦しみにも参加するようになりますが、それには希望が伴います。苦しみの向こうに、神様に喜ばれ報いを受け祝福されるという希望です。クリスチャンは必ずこの道を通ります。そして、神様は「あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。」と言います。(1コリント10.13)
この時代のヘブル人(ユダヤ人)たちも迫害を受け、「やっぱりキリストを信じるのはやめようかな…」という人がいたようです。そんな彼らにも、そして僕らにも聖書は励ましてくださいます。
(32-33節)
あなたがたは、光に照らされた後で苦難との厳しい戦いに耐えた、初めの日々を思い起こしなさい。
嘲られ、苦しい目にあわされ、見せ物にされたこともあれば、このような目にあった人たちの同志となったこともあります。
多くの人はイエス様のために忍耐した経験を持っています。それを思い出しなさい、と聖書は勧めます。
イエス様を信じたことで財産を没収されることもあったようです。でも、聖書によると宝は天にあると聖書は言います。(マタイ6.19-20)この世の宝は消えていくし、天に持っていくことはできません。でも、イエス様のために忍耐するという宝は、いつまでも残る財産です。この世では僕らは旅人であり寄留者です。(ヘブル11.13)やがて、天の住まいで僕らの知らない圧倒的な財産を受け継ぐと聖書は言います。
(34-35節)
あなたがたは、牢につながれている人々と苦しみをともにし、また、自分たちにはもっとすぐれた、いつまでも残る財産があることを知っていたので、自分の財産が奪われても、それを喜んで受け入れました。
ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはいけません。その確信には大きな報いがあります。
忍耐とは、ただのガマンではなく、希望を見つめて乗り越えることです。イエス様はもう一度この世に来られ、すべてのことを正しくさばきます。その裁きは完全で恐ろしいものです。
(30-31節)
私たちは、「復讐はわたしのもの、わたしが報復する。」また、「主は御民をさばかれる」と言われる方を知っています。
生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。
その時には全てが逆転します。イエス様のための苦しみは報われ喜びに変わります。
(36-39節)
あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。
「もうしばらくすれば、来たるべき方が来られる。遅れることはない。
わたしの義人は信仰によって生きる。もし恐れ退くなら、わたしの心は彼を喜ばない。」
しかし私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。
イエス様のための苦しみは、天では喜ばれています。「喜び踊りなさい」「報いは大きいのだから」と聖書は言います。
(マタイ5.11-12)
わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。
喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。
イエス様のための苦しみはどんな大金よりも価値があります。
決してなくならない、永遠に価値のある宝です。喜んで、希望を持って忍耐しましょう。報いは予想以上です!
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