聖書に出てくるヒゼキヤという王様は素晴らしい王です。偶像だらけになっていたエルサレムを立ち直らせました。アッシリヤという国に脅された時も、ただ、神様の助けだけを求めて救われたことが書かれています。また、彼は病気になりましたが癒されました。神様によって守られ祝福されていったことは、周りの国からの注目を浴びたようです。
その頃、遠くのバビロンという国から素晴らしいプレゼントが届きます。飛行機のない時代に1000キロ離れた国からラクダの行列が何日もかけて、国家的なプレゼントを持って来てくれました。
こんな小さな国に、遠くの強い国が莫大な経費をかけて来てくれたことは、ヒゼキヤ王にとって誇りでした。
(1-2節)
そのころ、バルアダンの子、バビロンの王メロダク・バルアダンは使者を遣わして、手紙と贈り物をヒゼキヤに届けた。彼は病気だったが元気になった、と聞いたからである。
ヒゼキヤは彼らを喜び、宝庫、銀、金、香料、高価な油、一切の武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた。ヒゼキヤがその家の中、および国中で、彼らに見せなかった物は一つもなかった。
このことを聖書は「その心を高ぶらせた」と説明しています。
それまでは外国との交わりには気をつけて、いつも神様だけを求めていました。外国の偶像によって国が混乱し衰退して行くことを知っていたからです。ところが、この時は喜んで贈り物を受け取り、「一切の武器庫」まで公開してしまいます。これは、軍事的にもバビロンと仲良くしよう、という意味でした。あれほど神様一筋だったのに、彼は油断し高ぶっています。
(2歴代誌 32:23-25)
多くの人々が主への贈り物を携え、ユダの王ヒゼキヤに贈るえりすぐりの品々を持って、エルサレムに来るようになり、この時以来、彼はすべての国々から尊敬の目で見られるようになった。(…中略…)ところが、ヒゼキヤは、自分に与えられた恵みにしたがって報いようとせず、かえってその心を高ぶらせた。
彼は高ぶりバビロンとの軍事同盟を考えます。聖書は隣人を愛し受け入れるように教えていますが、生活の基盤をともにするのは、同じ神様を信じる人同士でないとムリだし、土台が違う人と一緒になろうとしてはならない、と教えています。
(2コリント6:14-16)
不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。
神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。
ヒゼキヤは外国から尊敬されるようになった時、それはただ、神様の素晴らしさだけを現す時でした。ところが、彼は神様ではなく自分の財産や軍事力を見せて仲良くしようとしました。そんな彼に預言者イザヤは警告します。
(5-6節)
イザヤはヒゼキヤに言った。「万軍の主のことばを聞きなさい。
見よ。あなたの家にある物、あなたの父祖たちが今日まで蓄えてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日々が来る。何一つ残されることはない──主は言われる──。
熱心な信仰者ヒゼキヤでさえ、試練が去り、人々から尊敬されると高ぶります。まして僕らはなおさらです。神様よりこの世の力や富や名声を求める弱さはいつも付きまといます。順調な時こそ主に栄光をささげましょう。全ては主のものです。僕らの力によるのでも知恵によるのでもありません。栄光と賞賛は100パーセント主のものです!
0 件のコメント:
コメントを投稿