僕が乗ってる車はリースです。僕のものではありません。キズつけたり、売ったりしてはダメです。リース会社のものだし、僕は数年後に返します。同じように、僕らの人生全部は神様のものです。僕らのものではありません。時間も、能力も、立場も、お金も、この体も、家族も、友人関係も全部が神様から管理を任されている大事な「神様のもの」です。しかも、所有者であるイエス様は地上に来られ、忠実に神様のものを管理したかどうか評価されます。イエス様はこれを主人としもべのたとえで言われました。忠実に管理した人は喜ばれ、イエス様は「その人に自分の全財産を任せるようになります。」(44)
(42-44)
主は言われた。「では、主人によって、その家の召使いたちの上に任命され、食事時には彼らに決められた分を与える、忠実で賢い管理人とは、いったいだれでしょうか。主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見てもらえるしもべは幸いです。まことに、あなたがたに言います。主人はその人に自分の全財産を任せるようになります。
ところが僕らは、「人生の所有者は自分」と誤解します。全部神様からの預かりものなのに、「どうしようと俺の勝手だ」と思い込み、まるで自分が王様のように周りを支配し、預かった神様のものを自分の欲望のために使ってしまいます。
(45-46)
もし、そのしもべが心の中で、『主人の帰りは遅くなる』と思い、男女の召使いたちを打ちたたき、食べたり飲んだり、酒に酔ったりし始めるなら、そのしもべの主人は、予期していない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ報いを与えます。
僕らが神様から預かった人生や人間関係を私物化してしまう原因は、イエス様はまだまだ帰ってこないし、見ていないじゃないか、最後の審判なんてないんじゃないか、と思うからです。イエス様は必ず再臨します。しかも、予期しない日に帰ってきます。イエス様は「あなたがたも用心していなさい。人の子は、思いがけない時に来るのです。」と言われます。(40)
そして神の裁きはあります。僕らの人生は神様のものです。預かった一度だけの人生をどのように管理したか問われます。しかも、いつも自分を神様のしもべとして忠実に従っていた人は、神様に喜ばれ、神様の方がもてなしてくださいます。
(36-37)
主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸を開けようと、その帰りを待っている人たちのようでありなさい。
帰って来た主人に、目を覚ましているのを見てもらえるしもべたちは幸いです。まことに、あなたがたに言います。主人のほうが帯を締め、そのしもべたちを食卓に着かせ、そばに来て給仕してくれます。
主人が真夜中に帰って来ても、夜明けに帰って来ても、そのようにしているのを見てもらえるなら、そのしもべたちは幸いです。
僕らの人生全部が神様のものです。僕らのものではありません。所有者であるイエス様は地上に来られ、僕らは全てをお返しします。預かっている人生です。ウラもオモテもONもOFFもありません。全部神様のものです。AかBか、時間の使い方をいつも考えましょう。どちらが天の御国で価値のあることか、考えればわかります。僕らが価値のあることを、そして忠実なことを選択できますように。
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