神様は聖書の「ことば」で僕らに伝えようとしておられます。でも、僕らはことばだけでは足りないと思って、見えるものやカタチを求めます。この当時の聖書の先生たちも、見えるカタチとしての証拠(しるし)を見せて欲しい、とイエス様に言いました。
(39節)
そのとき、律法学者、パリサイ人たちのうちのある者がイエスに答えて言った。「先生。私たちは、あなたからしるしを見せていただきたいのです。」
神様を信頼せず、他のものを愛することを「悪い、姦淫の時代」と聖書は言います。イエス様に証拠を要求するのは「あなたは信頼できないから証拠(しるし)を見せて」という態度です。「ことば」では信頼できないから目に見えるものが欲しい、ということです。
(39-40節)
しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。
神様が求めておられるのは神様の「ことば」を信頼することです。そして、たった一つのしるしは「預言者ヨナのしるし」です。これを聞いただけでユダヤ人たちはピンときます。
預言者ヨナという人は三日間、大きな魚の腹にいました。そして、三日目に陸地に出てくることができました。そしてひどい悪い町であるニネベの人々に悔い改めるようにと説教しました。ニネベの人々はその説教の「ことば」を信じて悔い改めました。
ニネベの人たちは奇跡を見たから信じたとか、何かすごい体験を下から信じたのではなく、ヨナの説教のことばを信じて悔い改めました。旧約聖書は次のように書いています。
(ヨナ 3:4-5)
ヨナは初め、その町にはいると、一日中歩き回って叫び、「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる。」と言った。そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。
ヨナは自分の話をしたのではなく、奇跡とかすごい事をしたのでもなく、ただ、神様からの預かったメッセージを伝えました。そして人々はそれを信じました。
同じように、イエス様も三日間地の中にいました。イエス様は処刑され、殺され、墓に葬られてから三日目に復活しました。これが唯一の証拠(しるし)です。そしてイエス様は復活し、それは聖書に記録され、その「ことば」で神様は僕らに伝えておられます。
ヨナのメッセージで多くの人たちは悔い改めましたが、イエス様はヨナよりもずっと優れた方です。イエス様は今日も「ことば」で僕らに語っておられます。
(39-41節)
しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。
ニネベの人々が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。
僕らが聖書のメッセージでは足りないと言って、見えるものを求めるなら、イエス様はそれを「悪い姦淫の時代」とおっしゃいます。素晴らしい音楽とか、素晴らしい会堂とか、人間的な魅力とか、そのようなものを第一に求めるならまるで浮気のようです。
ヨナは欠点だらけの預言者でした。短気で怒りやすく、しかも嫌になったらすぐに投げ出すような性格です。それでも、神様はヨナを用いてヨナに神様のメッセージを預けました。そしてニネベの人たちは悔い改めます。神様のみことばが伝わる時には、人間の短所も長所もあまり関係ないようです。
僕らが神様の言葉ではなくて、見えるカタチや奇跡や、外側のものばかりを求めて神様から離れ、浮気をしませんように。神様のことばは真実です。信頼できるだけでなく、生きていて力があります。聖書のみことばが毎日僕らを新しく生き返らせてくださいますように。
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