神様を忘れると、僕らはこの世の力を求めます。イスラエルは神様をすっかり忘れて隣のアラムという国と軍事同盟を結びました。ところがその首都ダマスコは廃墟になります。アテにしていた国は役に立たなくなりました。
(1-2節)
ダマスコに対する宣告。見よ。ダマスコは取り去られて町でなくなり、廃墟となる。
アロエルの町々は捨てられて、家畜の群れのものとなり、群れはそこに伏すが、それを脅かす者もいなくなる。
神様を忘れて(信用しないで)他の国で助かろうとするのは、まるで、他国から持ってきた植木で収穫をあげようとするようなものです。しかも、何の収穫にもならない、と神様は警告されます。
(10-11節)
あなたが救いの神を忘れてあなたの力の岩を覚えていなかったからだ。
それで、あなたは好ましい植木を植え、他国のぶどうのつるをさす。
あなたが植えたものを育てるときに、朝、あなたの種を花咲かせても、病といやしがたい痛みの日に、その刈り入れは逃げうせる。
神様のさばきや滅びの日には神様の救い以外に助けはありません。ダマスコが滅びるのはまるで要塞を失うかのようだし、病気で痩せていくようだし、実った畑の収穫がごっそり持って行かれるかのように書かれています。当時、最貧民の人たちは収穫後の落ちた穂を拾って食べていました。イスラエルはそのように落穂を拾って食べるギリギリの貧しさまで落ちて行きます。
(3-4節)
エフライムは要塞を失い、ダマスコは王国を失う。
アラムの残りの者は、イスラエル人の栄光のように扱われる。
―万軍の主の御告げ。―
その日、ヤコブの栄光は衰え、その肉の脂肪はやせ細る。
刈り入れ人が立穂を集め、その腕が穂を刈り入れるときのように、レファイムの谷で落穂を拾うときのようになる。
神様を忘れた人間の知恵や力はいつか消えて無くなります。
僕らが預かっている仕事も学校もお金も人間関係も良いものです。でも、神様を忘れてそれだけを大切にするなら、それが消えていくときに一緒に倒れます。永遠に信頼できる方は神様以外にありません。
イスラエルはダマスコと同盟を結べば安全だと思いました。しかし、その先は滅亡でした。
何かを失うことは、神様に戻るチャンスです。痛い目に会うことで僕らの目が覚めることがあります。神様は愛する人のために苦しみを通して戻ってくる機会を与える方です。
(7-8節)
その日、人は自分を造られた方に目を向け、その目はイスラエルの聖なる方を見、 自分の手で造った祭壇に目を向けず、自分の指で造ったもの、アシェラ像や香の台を見もしない。
失敗は神様から僕らへのメッセージです。神様は気づきを与えてくださいます。軍事同盟に頼ったイスラエルは痛い目に会いましたが、神様は回復できるようにちょうど良い残りを与えてくださいました。まるでオリーブの木が打ち落とされるときに、少しだけ実が残されるように、です。
(6節)
オリーブを打ち落とすときのように、取り残された実がその中に残される。二つ三つのうれた実がこずえに、四つ五つが実りのある枝に残される。
この世のものに頼ってがっかりすることがあったら、それは神様から僕らへのメッセージです。頼っていた相手が間違っていた時、僕らはもう一度神様だけに信頼しよう、と思います。心の貧しい人は祝福されます。悲しむ人は慰められます。低いものが高められます。
試練は僕らを神様に向かうようにと導いてくださるメッセージです。
僕らがよそ見をせず、浮気をせず神様に頼って歩めますように。
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