2023年1月5日木曜日

ルカ21.1-19

 もしも神様がくださる永遠の命とその祝福の大きさを信じないなら、僕らはこの世のことばかりを求めるようになります。信仰することも「あの人は立派だ」という自分の栄光のための手段にさえなり得ます。イエス様の時代の聖書の教師たちは、まさに信仰が見栄の道具になっていたようです


(20.46-47)

「律法学者たちには用心しなさい。彼らは長い衣を着て歩き回ることが好きで、広場であいさつされることや会堂の上席、宴会の上座を好みます。また、やもめの家を食い尽くし、見栄を張って長く祈ります。こういう人たちは、より厳しい罰を受けるのです。」


献金さえも「あの人はたくさん献金している」というこの世の栄光の道具になることがありました。でも、本当に神様に従うことはこの世での栄光や富に執着せず、ただ神様だけに頼って生きることです


(1-4)

イエスは目を上げて、金持ちたちが献金箱に献金を投げ入れているのを見ておられた。そして、ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨を二枚投げ入れるのを見て、こう言われた。「まことに、あなたがたに言います。この貧しいやもめは、だれよりも多くを投げ入れました。あの人たちはみな、あり余る中から献金として投げ入れたのに、この人は乏しい中から、持っていた生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。」


イエス様の時代の神殿はヘロデという王様がユダヤ人たちに認められたくて豪華に作ったものです。彼は信仰してなかったのに、わざわざユダヤ教に表面上の改宗をして神殿を建設しました。それは豪華なものだったようです。…しかし、実際は中身がなく商売の場と堕落した神殿は神様に滅ぼされます。


(5-6)

さて、宮が美しい石や奉納物で飾られている、と何人かが話していたので、イエスは言われた。

「あなたがたが見ているこれらの物ですが、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることのない日が、やって来ます。」


この世の栄光は消え去ります。だのに人間はこの世での力を求め、この世の支配力を求め、この世で人より上に行くことを求めます。

逆に、天の御国のメンバーになった人はますますこの世から排除され、攻撃されます。


(12-13)

しかし、これらのことすべてが起こる前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出します。それは、あなたがたにとって証しをする機会となります。


永遠の祝福をいただくことは、この世で人々から褒められ、認められることとは違います。むしろ誤解され、排除されていきます。お手本はイエス様です。イエス様は「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」(1ペテロ2:23僕らはこのイエス様の御霊が与えられています。御霊によって信仰が与えられ、苦しいけども希望を持って忍耐することができます。迫害されることで祈りも信仰も増やされ、イエス様が生きておられることを証言する機会も与えられます。


(13-19)

それは、あなたがたにとって証しをする機会となります。

ですから、どう弁明するかは、あらかじめ考えない、と心に決めておきなさい。あなたがたに反対するどんな人も、対抗したり反論したりできないことばと知恵を、わたしが与えるからです

あなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにも裏切られます。中には殺される人もいます。また、わたしの名のために、すべての人に憎まれます。

しかし、あなたがたの髪の毛一本も失われることはありません。

あなたがたは、忍耐することによって自分のいのちを勝ち取りなさい。


天の御国のメンバーはこの世と調子が合わなくなっていきます。この世の人はこの世の栄光や幸せだけを求めます。でも、僕らは永遠に続く祝福と栄光が与えられることを知っています。この世で苦しめられることがあっても希望があります。殺されても希望があります。僕らが求めるのはこの世での成功でも栄光でも繁栄でもありません。でも、この世で生きるので忍耐が必要ですそして御霊が苦しみの中でも希望と忍耐と平安を、そして話すべき知恵とことばを与え続けてくださいます。大丈夫です


(ヘブル10:36

あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です


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